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お気楽人間の日々徒然。

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2004年04月07日(水) どうにもこうにも

最近、あるお友達が日記に色々と心情を書かれていて
それがなんだか自分がモヤモヤと考えていたことと似通っていたので
読んでいてう〜んと唸ってしまった。

自分の感情の中で
どうにも折り合いのつけられない事、
そういう事にたまに出くわすと、面食らってうまく処理できなくて、
ずっともやもやしている時がある。

その時点で「必要ないもの」としてさらりと切り捨てることや
自分の中でうまく消化して昇華してやっていくことができればいいのにと思うけど、
それすらもうまくできない。
それが鬱積して爆発してしまう時も、ある。
私はもともと感情の整理がヘタクソなんだと思う。
この歳にもなって、とも言えるけど。

「人間関係に期待を持たない方がいい」
とは、とある人の談。それも一理ある。
失望させられるようなことがあってもダメージは少ないだろうし
期待しないところに生まれるプラスは、思いがけぬ喜びとなる。。。らしい。

でも全てにおいてそれを当てはめてしまったら
人間関係は悪い意味での楽ちんな、
あまりにも希薄なものになってしまう気がする。

それでは相手を分かる事なんて出来ないだろうし、
分かろうとも思わなくなってしまう気がする。
「人それぞれだよね。」って言葉を、相手を認める意味でなくて
受け入れられないものを交わすために使ってしまったり。
そういう価値観の中の「無理をしない」ということは、下手をすると
「相手と自分の違いをすりあわせる努力をしない」ってことになってしまう気がする。

だからと言ってバカ正直にぶつかっていっても、
相手から肩透かしを食らう事も、多い。
私がそれに値しない人間に過ぎないからと言われれば・・・はい、それまでですけど(笑)。

ボールを投げた向こうにあるのは、人間なのか
ただ壁打ちしてただけなのか。たまに分からなくなる時がある。

メールなどの通信手段が発達して、
意志の疎通をするには一見便利になったようにも見えるけど、
タイムラグがあってはならない時にも使ってしまいがち。
そういうのって何かがとても希薄になってしまう気がするのだ。
思いの丈を書くつもりが100%自分の言いたい放題状態となって「送信」ボタンを押してしまったり。
それはメールだけでなく、手紙もしかりである。

本当は相手の顔を見て話すのがイチバンいい気がする。
普段のコミュニケーションがきちんと取れていないのならば、
顔を突き合わせず受け手もリアルタイムに返せない手段では、
本当のところは伝わりづらい。

修正、削除、書き直しを繰り返して考え抜いた100の言葉でとりつくろうより、
うまく言えなくても会って一言言えばそれとなく伝わる事だって、ある。
思いのほか溜飲が下がる事だって、ある。


顔を合わせないって本当に楽。
でも自分にしんどいことを避けてばかりじゃなくて、
本当はそういう手間を省いちゃいけないんだよね。
そんなことをぐるぐる考えている今日このごろ。
たぶん、いや、確実に、心に余裕がないんだろうね。

飾らず、もっと器の大きい人間になりたいものです・・


紗璃 |MAILHomePage