| 2003年05月26日(月) |
ヴァナディール滞在記 |
買えたのである。 ようやく買えたのである。
4月末に発売したばかりなのに、あっという間にどこの本屋からも 姿を消してしまった、 「ファイナルファンタジーXI プレイ日記 ヴァナディール滞在記」(エンターブレイン)を買えたのだ。
もともとは、大手ゲーム雑誌であるところのファミ通のHPで、 ファイナルファンタジー11という、ネットワークゲームのプレイを、 作者である永田泰大氏がつづっていたものを本にしたものでございます。
というわけで、当然全部読んでいるわけでありますが、やっぱり欲しい。 オンライン上で読むだけでは、作家にはお金は入らないわけだし、 (広告料うんぬんはおいておいて) この方を気に入って、ドラクエ日記まで全部読破させていただいた、 感謝の気持ちを表すにはやはり購入しかあるまい。 いつでもどこでも好きな時に読み直せるのも喜ばしい。
作者のドラクエ日記も続けて全部読んで、 今夢中になってやっているゲームの本だからというだけでなく、 ただ単に、この人の文章というかこだわりが好きということを ひしひしと感じたのですよ。
ゲームプレイ日記ということで、 プレイスタイルまで言及されてたりするのだけれど、 そのこだわりっぷりが大変好ましい。
早解きはせず、まだるっこしいくらいののんびりプレイや、 自分なりのセオリーやら、 夜食として食べるべきものは何が最適かとか。 (どれもドラクエプレイ日記の方ですが)
同じストーリー先読み派として、 情報を遮断して逃げまわっているところも大変共感できる。
先読み派には、「悲しいお話だった」「すごいどんでん返しがあったよ」 って、それだけのヒントすら与えちゃいけないのだ。
それだけで、映画やドラマのような単純な構成の物語であれば、 早ければ話の冒頭、もしくは登場人物が揃った時点で ストーリーがわかってしまうのだ。
基本的には見るときには、 先読みしないようにしないように努力しているのだけれど、 何か言われてしまったが最後。
物語は物語ではなく、ただのプロットの追確認となってしまい、 単純に楽しめなくなるのですよ。全く。
(自分にとってすごいと感じる作家だと、 その人が織り成す表現の一つ一つ追うのが楽しくて楽しくて、 ストーリーを先読みすることすら忘れてしまう場合もあるけど、 そういう状態に陥れるのは、ごく稀だったりする)
だからわたしは、本を人に貸す場合も、 どのような感動を受けたのかは伏せて、 「おもしろかった」 とだけ言って渡すことにしているが、 大方の場合、「可笑しい」と受け取られてしまうのが悲しい。
ただ泣いちゃうようなお話の場合で、涙もろい人に貸す場合には、 電車で読まないほうがいいと教えるけどね。
話がそれてしまった。
それで、まぁ、売りきれてて売りきれてて、 買えなかった代物を、ようやく買えたって訳なんですよ。 びば。
石丸電気のお兄さんが、丁寧に再版の日付まで教えてくれて、 その日付を目安に探しまわってたわけです。 (でも買った日は本社出社なので、五反田で買っちゃった。 お兄さんごめんなさい)
もちろん待ちきれないわたしは、知ってはいても、 暇があれば本屋を覗いてはがっかりしてたわけだけれども。
そしてようやく手にした白い本。 (表紙が白かった)
思った以上に分厚いのでびっくりだと思ったら、 オンライン上になかった「吟遊詩人編」も書き足されているそうで。
ちなみにわたくし、現在吟遊詩人レベル上げ中(現在LV27)でして。 びば。
追記
今調べたら、FFのオンライン日記が見付けられない(TT)
なので、ドラクエ7日記の方をリンク。 どたばた購入から、クリアーまで。
また残念だったのが、オンライン上にあった、 最終話後のおまけページが本にはなくなっていること。
それはただ、日記の中に出てきた台詞をずらずらと並べているだけなのであるけれど、 わたしはそれが大変好きだったのでとても残念。
愉快な仲間の台詞、オンラインにつなぐための同僚の鬼の台詞、 初めてフレンドになった人の台詞、行きずりのパーティのあの人の台詞。
台詞だけだけれど、そこに込められた思いを、 日記を読んできた読者は、言葉以上に感じ取れたわけです。
なぜなくしちゃうんだろうか。 やっぱりおまけだからだろうか。
残念なのでありました。
(もし、それが納められた改訂版が出たら、 おねえさんもう一冊買っちゃうよ)
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