今日はめずらしくわたしが先に帰宅。
旦那様は会社の送別会。 会社は一緒なんだけど、旦那は別のところに出向中なので、 わたしは関係ないのでありまする。
日付が回ってから帰ってきたのですが、 2次会のカラオケで1曲しか歌えなかったと、大変ご不満のご様子。
わたしは音痴で歌も聴く専門。 ちっともカラオケに付き合ってあげないので、 大変カラオケに飢えていた模様。
そんなに歌いたいなら、一人で行けばいいのに。(鬼)
えーと。 水前寺部長に再確認させられたのだけれど、 人間の出力はほんと、筋力なのだなぁとしみじみ思うのです。
音を安定させたり、音域を拡げる声帯も、 細かいことをしたり、何かを作ったりする手先の器用さも、 みんな筋力だから、きちんと毎日訓練しないと、 少しくらいやったところであっという間に筋力が落ちてしまうのです。
普段普通に使えているもんだから、そうとは思えないのだけれど、 スポーツなんかのように、運動=筋力=訓練みたいなイメージがあまりないせいか、
やっぱりそれなりに出来る為には、毎日の訓練が必要なのに、 簡単に「不器用だから」とか「音痴だから」で済ませられるのは、 楽ちんだけど卑怯かな、なんて思ってしまう。
でも、毎日の訓練に見合うだけの価値をそこに見出せない場合は どうしようもないんですよね。
歌が上手だったらいいなとは思うけど、 わたしの感情表現や浸ったりする手段や、 そもそもの日常生活に、歌というものが組み込まれていないからなぁ。
ううむ。 やっぱり「音痴だから」でいいや…。 (実際音痴だし)
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