2005年10月27日(木)
 『ロクデナシ』 THE BLUE HEARTS

日々リハビリ中ですが、そろそろ助走に入ろうかな。
どうするかは私次第。

この間もお芝居や映画やサッカーをたくさんみてて書きたいのに、
心の整理の方が追いつかないし…なーんかさ、リハビリ中でも
私は相変わらず毎日のように楽しいことや素敵なものに囲まれてるのに
文句みたいなんばっか書いてるのは私自身がツマラナイ。

でも、このまま走り出すのもちょっと…なので一回まとめ、ね。


『なんでだろう』

私はこの間も書いたけれど、なんか急に感情をぶつけられることが
たまにある。そしてわからないけれどわかろうとして傷付くのだけど、
それはみつける答えが『結局、私のことが気に入らないんだな』だから。


私の「好き」は欠点や欠陥さえも受け入れているので
そうそうみんなを大好きにはなれない。身が持たん(爆)
長い時間を掛けて、徐々に私の中に受け入れていく。

すると、自分の大好きな友達のことを話すのに
”アイツ性格悪いからさー”とか
”全くアイツはいつも適当なんだから”とか
”またなんかひとりで先走ってるぞ”とか
悪態ついたりするんだけど、それらの言葉には必ずカッコ付で

(でも好きなのよ)

が含まれる。

私は相手を変えようとはほとんど思わない。
それがあって、彼・彼女だから。そのままで好きだから。

そりゃ私の好きなひとの本質が誤解されるのはちょっと嫌だったり
するから、言い方についてそれは誤解されるからとか伝えることもあるけど
基本的にはまぁ私があなたを好きで、私の好きなひとが私を分かっていて
くれれば、私はあなたを分かっているから、後はどうでもいいや、
みたいな気持ちの方が圧倒的に強い。
…とてもわがままで自分勝手な人間だと思う。


批判するとかされるってどういう時で、
どういうことなんだろうって考えてみる。

私にだって、ある。
気楽なくせに根がマジメな私が止まらなくなるのは、例えば
自分が損している気分になる時だ。
私はこんなにがんばって仕事してるのに、なんでそんなてきとーに
のんびりやってんの?とか。

しかし冷静になってみれば、私は”てきとーにのんびり”が実は
うらやましいのだ。うらやましいのだけれど、私は私にそれを許せない。
だって仕事だから。お金貰ってるから。ちゃんとしないと間に合わなくて
間に合わないのは嫌だから。判っているけれど、やりきれない思い。

「誰かがなんとかしてくれるって思ってる?誰?
結局私がやるんじゃん!」怒々々々々々々々


でも、どこかで「まぁいいや」と開き直る。
「ヒトはヒト、私は私」が落としどころ。
だって私はいい加減なダメ人間なのに、
実は仕事はちゃんとやる、って自分が好きなんだもん。
プライド持ってるもん。
仕事してるって自信があるから帰りたい時には帰れるんだし
休みたい時には休むんだもん。


”てきとーにのんびり”がうらやましいから腹が立つのは事実だけど
そう思ってる自分を認めてしまえば大丈夫。
逆に、他のひとは私の違う種類のてきとーさに腹を立ててることも判る。
こういう、仕事してるからって好きな時に休むとか、
ふいにタバコ吸いに席を立つとか、ジーンズもスニーカーも禁止のはずだし
…他にもたくさんたくさんあるだろう。


あはは。悪口なんかいくらでも言えばいいさ。
その他大勢になんてどう思われたって構わない。
うらやましいなら、もっと自由にやればいいじゃん。
でも彼女らは、それぞれの理由で自分にそれを許さない。

そして嫌われるとか批判されるのをとても恐れているので
それを怖がらない私も許せない。


例が極端だな。
両方ちゃんとやってるひとはたくさんいるし、ほんと偉い。凄い。
そのひとにはそれが当たり前だろうから、どっちもさぞ腹が立つかな。
ごめんなさい。いやこれも器量の狭い考え方だ。

それで腹が立って許せなければやっぱりうらやましいのだろうし、
そこで落としどころのあるひとは、本当にとても大きなヒトで、
そういうひとは私の自由さも許してくれたり認めてくれたり
あまつさえ、愛してくれたりするもんね。


結論結論。

まずその他大勢はやっぱりどうでもいい。
好きなひとは許す。認める。それが私の愛。
甘えだけど、自分のことも許してくれたらいいなぁと願うように思う。

許せない時は…批判や変化を求めることが止まらない時は
それはやっぱり、好きじゃないってことなんだろう。
まぁぶっちゃけ相性悪いとかウツワがちっちぇえなぁってことか(笑)

あーでもなぁ…「好きじゃない」とひとくくりするのも間違いだな。

ある関係の時には許せなかったことも、関係が変われば許せたり、
逆に許していたことが許せなくなったりするから、
関係性というのがポイントかも知れないね。


批判が止まらなくなったら考えよう。
「本当は私はどうしたいのか」
落としどころがあればおっけー。
なかったら…変えるべきなのはきっと、相手じゃなくて自分自身だ。

好きなひとから批判を受けたら、見直すべきは関係性だな。
ま、それでもやっぱり私はまたぐるぐるするんだろうけど、
それはもう、好きなんだったらしょーがないさ。
好きなひとを好きでい続けるためにも、まず好き嫌いにとらわれず
関係性を見直そう。それは多分、そのままの関係じゃダメだってことだ。



悲しい気持ちはいくつもあって、幸せになって欲しいという
言葉(気持ち?)とは裏腹に、最後のドアはしっかり閉ざされてしまうし
部分的に壊れてしまった私の修復には時間が掛かるだろう。
変わってしまったものは元には戻せないし、
いっそ元のままでいた方がよかったかも知れない。


でも私が受け入れて始まったことだし、きっちりおしまいになるように
私らしくない実に美しくないこともしたけれど、それも自分で決めたこと。
最初も最後も、後悔してる訳じゃない。


また、それがあってこそ今の私と言えるように生きなきゃね。

きっついなー…
まだかなりムリがあるな。

まぁだから、日々リハビリさ。


昨日はレディースディだったので久々に映画館で邦画をみました。
『スクラップ・ヘブン』

「想像力があればオレも世の中ももうちょっとマシになってるはず」

うん。私もそう思う。

でもこんなハズじゃなかったってことばっかりさ。
こんなハズじゃなかったってことの連続さ。
だからこそ、めいっぱい考えて自分で選択しなきゃなんだよね。
ひとのせいにしてたら、かっこ悪いし。

想像力は欠如はキミも私もみーんな同罪。
相手の想像力の欠如ばかり指摘しちゃダメよ、私。


さて、明日はのびのびになってたアフリカ料理だーっ☆



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