同い年のイトコのMくんは 母方の本家の跡取りです。
本家は宮古の老舗の酒屋さんで、母が9人兄弟だったので お盆や正月に集まるイトコ、ハトコの数ははんぱではなく 小さい頃は本当に良く遊びました。
大きくなってからは、私の家も本家も運は傾き、倒産、引っ越しなど 相次ぎ、すっかり疎遠になってしまいました。
津波警報のなか、彼は車をとばして彼の母を迎えに行きました。 国道45線は海岸沿いを南北につなぐ道路、南下すれば 山田町、釜石、大船渡、陸前高田、 今回の被災地を全部結ぶ道路です。
「まだ波がひいてる、まだ間に合う!」と長男と 絶叫しながら全速力で45号線をかけぬけ、海沿いの低地に住む母親を 迎えに行ったそうです。
彼は間に合いました。彼の母親も無事でした。
「今から思えば、たぶん津波が俺たちのうしろを追いかけて きてたんだと思う。」 彼はガハハと笑いました。
鍬ヶ崎の彼の家は流され、2階だけが無事に残っていたそうです。
「濡れてないマットレスだけ持ってきたけど、めぼしいものは みんな盗られて、なにもないんだよ、 ふと見たら、かもいにあっちゃん(私のこと)の書いてくれたサイン色紙が 飾ってあったから記念に持ってきた!!」と彼はガハハと大笑い。
盛岡に着いてから そんな色紙書いた記憶ははるか彼方 何十年も前の絵だったのでは・・・
がれきの中で、わたしの色紙を手にとってくれた彼の姿を 思い浮かべたら、道を歩きながら 涙がポロポロこぼれて仕方なかったです。
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