comfortable diary



前略、松山千春様。

WBCを見終わった後、地元のローカル番組をボーーっと観てたら、
松山千春が出てきた。うわー、年とったなー!

何を隠そう、わたしの青春は松山千春だった。
さすがに「チー様」などとは読んでいなかったけれど、中学生の前半は
どういうわけか松山千春なしには語れないほど入れ込んでいた。

そのころ松山さんは、「オールナイトニッポン」や「アタックヤング」の
ラジオのパーソナリティをやっていて、深夜まで眠い目をこすりつつも
毎週起きて、放送を楽しみにしてたことを懐かしく思い出す。

中でも思い出すのは、「オールナイトニッポン」の最終回。
松山さんが、リスナーの家に生で電話をして、直接話ができる!という
ものだった。みっちゃん、少ないお小遣いから官製はがきを山ほど買って
送りましたよ、ラジオ局に!

少しでも目立つように、いろいろハガキに工夫をこらして!

郵便ポストの前で、お祈りまでしましたよ、恥ずかしげもなく!

最終回の2日前。
我が家にハガキが届きました。

げげげ、戻ってきてやがる!

なにやら、ハガキに工夫したのがいけなかった。
ハガキの表面をピンクの蛍光ペンで囲んだのがいけなかったらしい。
追加料金がかかります!と。

なけなしのお小遣いでハガキを買ってしまったために、追加の料金も
払えない。結局親に泣きついて払ってもらい、再投函。
…今考えると、ハガキがラジオ局につくのは、放送の翌日だったと思う。
でも中学生のみっちゃんは、いつ自分のところに電話がかかってくるかと
ドキドキしながら布団のなかでラジオを聴いていた。
そしてわたしんちの電話は「リン」と鳴ることもなく、放送は終了。
少しだけ泣いた。>わ、若い…。

そうそう、こういうこともあった。
いつものように深夜「オールナイトニッポン」を聴こうと、眠い目を
こすりながら起きていた。AM1:00。



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そう、忘れもしない、あれは12月。
ジョン・レノンの追悼番組が、松山さんの時間帯に特別放送されたのだ。
もちろんパーソナリティは松山さんではなく、全然違う人だった。
ビートルズなんて全く興味のなかったワタシは「なんなのよっ!もう!」
…と罵声を浴びせてしまった。若かった。若すぎた。
ジョン・レノンの死よりも、松山さんのほうが大事だったのだ(笑)

いつの間にか松山さんのことは忘れ、わたしはサザンのことを愛するように
なったのだけど、今日はおっさんになった松山さんを見て、酸っぱい気持ちが
こみ上げた。わたしの青春がおっさんになってゆく…。
自分のことは棚にあげ、この酸っぱさはさっき食べた「おはぎ」のせいでは
あるまいな…と不安に思ったミチヨなのだった。



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2006年03月21日(火)




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