日々の泡・あるいは魚の寝言

2007年12月09日(日) 通りすがりのともひろくん




新宿にきています。
週末は、健康を取り戻すこと優先で、のんびりモードで過ごしています。
お友達とご飯に行ったり、ホテルのお部屋で荷物をほどいたりしながら。

今日は朝はゆっくり起きて、近所に散歩に出かけました。
スタバの携帯のサイトを見ていたら、ホテルの近所にお店があるらしいとわかったので、どのあたりかなあ、と探しがてら。

無事見つけて、感じが良さげなお店で、でも今朝は、朝食のレストランでカフェオレをたくさんいただいていたので、ガラス越しに中をうかがっただけで、散歩に戻りました。
西新宿高層ビル街界隈は、空が青く、飛行機雲なんかたなびいていて、おだやかなよい日曜日でした。そぞろあるくひとびとも、楽しげな雰囲気です。

と、そんな中、ひとりのお母さんが、乳母車の中の自分の赤ちゃんに話しかけているのが目にとまりました。
お母さんは、横断歩道の前で、信号が青に変わるのをまちながら、自分は乳母車の前にきてしゃがみこんで、赤ちゃんの顔を、両手でなでまわしながら、幸せそうに、話しかけているのです。
「かわいいね。かわいいねえ。かわいいねえ」
赤ちゃんは、これまたものすごく幸せそうな顔をして、にこにこ笑っていました。
と、私の方を見て、笑顔で手と足を振ってくれたので、
「こんにちは、かわいいねえ」
と、声をかけると、にこーっと、笑い返してくれました。

お母さんの方に、「かわいいですね」と話しかけると、にっこり笑顔で会釈してくれました。そして、赤ちゃんに、
「よかったね。かわいいって。ともひろくん。よかったねえ」
ますます笑う「ともひろ」くん。

私は、こういう、幸せな世界に弱いのです。
弱いっていうのは、つまり大好きだっていうことです。
人が幸せそうにしているのをみていると、なんか幸福の余波を浴びて、へろへろになってしまいます。なんかこう、微妙に涙ぐんだりして。

「信号、青になりましたよ」
お母さんに教えがてら、私は少し歩く速度をゆるめて、乳母車に気を遣いながら、道を渡りました。
このあたりは、自転車がたまにすっとばしてくるので。

そのまま、とりたててさよならを言うこともなく、幸せそうな親子とは別れたのですが、心の中で、いまも、通りすがりのともひろくんと、そのお母さんの幸せを祈っています。

部屋に帰ってきて、パソコンを立ち上げて、仕事をしながら、ふと窓の外を見ると、今日も新宿のまちは日差しのなか、きらきらとひろがり、向こうには、あれはどこの山なんだろう、山並みが続き。
道路を光の流れになって、車がゆきかい。

窓の外を、根性のある鳥たちがゆきすぎていったりして。
(って、ここは、けっこうな高層階なんだけども。すごいな鳥)。

ああこの眺めが、私はやっぱり好きだなあ、なんて思いつつ。
しみじみと、この世界がこうして続いているということが、救いなんだな、と、思いました。

どんなに私が、この場所を愛していても、いつかは、ここに帰ってこられなくなるときがくる。
健康なまま老いたとしても、それでも、不死ではないですし。

でも、いつか私がいなくなっても、西新宿のこの眺めは変わらないだろうし、赤ちゃんを幸福そうにあやすおかあさんもいるだろう。
鳥たちは根性で、高層階の高さの空をかけるだろう。

私そのものはいつか地上からいなくなるとしても、この「私が愛した世界」が存続するのなら、それは私の一部が生き続けていることと、どこか同じなのではないかしら。

この街に、いろんな命が暮らし、あるいは通り過ぎてゆく。
そうすることによって、この街にはずっと光が灯り続ける。
いま、いつのまに夕暮れてきた高層階のホテルの窓に、私もひとつ、明かりをともしているように。

ずっと未来にも、きっと誰かが明かりをともし続ける。




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