日々の泡・あるいは魚の寝言

2007年01月05日(金) 初夢の話+追記

漱石風に、「こんな夢を見た」、とかいって(笑)。
二日の朝の夢です。

なんか大きな家にひっこしてくるんですよ。中古の家で、借家なんだけど、前の持ち主のものとか丸ごとうけついでよいらしく、アンティークな小物とか譲ってもらえちゃって、わあいラッキー♪
それはいいんだけど受け継いだものの中には、飢えて死にかけた子猫×1とかもいて、前の飼い主に怒りながら蘇生させたりして。


窓の外には、大きな美術館とプラネタリウムと音楽堂。
窓側が国道の近くに面していて、玄関や庭は路地に接していて、前の家の住人のお友達たちが(家主であるらしい、骨董趣味の私と同年齢の女性や、ガールフレンドをつれた十代の少年)訪ねてきたりしました。
夢の中での脳内知識によると(笑)、そこは交通の便がいいところらしく、東京にいくときも楽だなあとか思ってた。
「さあがんばって仕事をしよう」というところでめざめたので、むちゃくちゃやる気になった二日の朝でしたね。
あの目覚めの良さが、今年の運勢を表していそうで^^

しかしやたら住環境のいい家だったなあ(笑)
子猫かわいかったし。

☆リアルではなかなか引っ越せないので、しかし家だとなかなか仕事にならないので、この週末あたりから、また市内でホテル暮らしをするかなあと思う今日この頃。
こういうとき、観光地に住んでいると、近所にいくつもホテルがあって楽^^
どこにいこうかな。
連休のホテルは、にぎわっていて好き^^

☆それと今年の抱負。
「自分に無理をしない」
「他人の意志を尊重しすぎない」<「尊重しない」とは意味がちがいます。

私は、どうも「誰かの意志」や「誰かののぞみ」を尊重しすぎてしまう傾向があって、それで自分の辛さを我慢して、かわりにじんましんや過呼吸、というくり返しを続けてきていました。
「我慢すること」が美徳だと思っていた。
でも、それは実は、美徳でも何でもなく、客観的にいうと、「自分の人生を無駄にしているもったいない生き方」にもつながっているんですよね。
これはいけないと思った。
じんましんがでる前に、もっと体の声を聞き、自分の「楽」を追求しようと。そうすることは、罪でも悪いことでもないのだと。

友人知人誰かのためになにかをするときは、「無意識のうちに体が動いてしまう」ときや、「どう考えても、私が、いま、そうしなくては」とおもうときだけ、あるいは余裕があるときだけでいいや、と心に決めました。

仲良しの友人たちは、実際みんな、「あなたが辛いときに、そこまでこちらのことを考えなくても良いから。むしろそこまでされると、私たちが辛いんだよ」といってくれるのだし。
その友情の厚さを、私はこれからは信頼していていいんだと思いました。

☆また、「いらない人間関係は切ろう」とも思いました。
私は、性格にちょっと難ありな友人知人がいても、内心「この人のこういう言動はちょっとなあ」とか思っていても、「でも私を好きでいてくれる人なんだし、多少のことは目をつぶるかなあ」とあきらめて、よほどのことがない限り、カットアウトはしてこなかった。あってもフェイドアウト。

で、実際、「難あり」な人々は、人間関係が希薄で友だち少ない人が多いから、切り捨てたらかわいそう、とか、よけいな心配をしていたんですよね。
コミュニケーション関係の能力がない人は、なんだか不器用にかわいそうに思えて、なにかと手を貸したりしていた。

でも、これからは積極的に切る。
嫌いな友だちはいらない。

その人に他人と仲良くする能力がないのは、改善しようとしないその人が悪いわけで、私の責任ではない。その人が他人から嫌われるのは、その人が悪い。つまり、私が世話を焼いてあげる必要もないわけですよね。
私が好かれているという理由だけで、私がその人に親切にする必要はない。
だって、私はその人が好きじゃないから。

好きじゃない人には優しくしなくて良いんですよね。
そのことになかなか気づかなかった、というよりも、私には「友なきひとの友でありたい」という想いがあったので、おもいきることができなかった。
自分自身が、コミュニケーション能力が劣るタイプの友人知人にイヤな想いをさせられても、それでもまだ、その人の良いところを探して、つきあってあげようと思っていた。

でも、私も聖人ではないので、無理はやめようと思います。

☆私は私が心地よい人間関係を、のんびりまったりたのしもうと思います。
自分が、「この人は好きだなあ」と思えるひとたちだけとやりとりしたい。
それがたぶん、私が健康に生きるための唯一の選択なのでしょう。


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