日々の泡・あるいは魚の寝言

2006年10月06日(金) こいぬこねここども

今夜の日記は、ちょっと子どものみなさんに。

庭の芝生に、こないだ家にきたばかりの、小さな犬がいたとして。
それは、「犬」ですが、人はそう思う前に、「子犬だ」と思いますよね。

お部屋のベッドで、生まれたばかりの小さな猫が寝ていたとして。
それは「猫」ですが、そう思う前に、「あ、子ねこだ」ときっといいます。

子犬も子ねこも、犬であり猫ですが、その前に、「子犬」「子ねこ」という存在ですよね。おとなの犬猫とは、ちょっと違う存在。
かわいいんだけれど、まだまだ、「完全な」犬猫じゃない、そんな感じ。

人間の子どもも、同じだと思います。
もちろん、「人間」なのですが、まだまだ成長途中の人間。
体と心の中に隠されていたり、これからのびていこうとする、いろんな才能が、まだのびきっていない、まだ、完全な「あなた」ではない存在。
まだ世界について知らないことがたくさんあるし、考えていないこともいっぱいある。めざめていない可能性や、はじめていない努力がたくさんある、それが、まだ子どもの「あなた」。

「あなた」がおとなになれば、きっとできるようになることも、いまは、まだできていない。そもそも、自分がなんになるかも、なにができるようになるかも、まだわかっていない、そんな存在。

だから、なにがいいたいかというと…
子どもは、おとなになる前に、死んではいけない、ということです。

どんなにつらいことがあったとしても、死んで訴えたいほどのひどいことがあったとしても、「完全な」あなたに成長する前に、自分で死ぬのはね、自分が一番、もったいないことだと思います。

もし、いま、なにかつらいことがあって、死んでしまいたくても、「あなた」のまわりの世界は、一日成長するごとに、広くなる。
あなたが考える物事も、一日成長するごとに、深くなる。
世界は、あなたのまわりで、どんどん広くなってゆく。

だから、こいぬこねここどものうちは、誰も死んではいけないのです。

いつか、成長し、手も足も伸び、すっきりとのびやかな姿になって、広くなった、遠い遠い世界から、自分がいた子ども時代をふりかえるとき。
いまどんなに毎日がつらい「あなた」も、きっと、過去の自分がどんなにせまい場所でひざを抱えていたのかと、おもいつめていたのかと、おもうはずだと…

いま、おとなになった私は、思います。

みんなで元気に長生きしましょーv


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