数日、長崎市内のシティホテルに滞在してました。 仕事する予定だったんですが、結局まいにちやすんでました。ていうかもう、気分を完全休養にきりかえて、積極的に静かにやすんでました。 実は人間関係もほぼおやすみにして、あれもこれもそれも放置状態でやすみました。いやもうなんか社会人失格ですが(笑)、たまたま頼られたりすがられたりあまえられたりが集中して、処理落ちしちゃいました、ごめんね〜
これいうと、あんまりな気もしますが… みなさんにはひとりにひとつのささやかな愚痴やたのみごとでも、窓口の私はひとりしかいないわけで。 すみません…。
窓の外は雨で、ひとりきり誰とも会話せず誰の世話も焼かず、仕事もしない時間を過ごすというのは久しぶりでした。 まあ部屋からでれば、それなりに、ホテルのひとやお店のひとたちとは、笑顔でたのしく会話したりする日々だったんですけどね。
ひとりでいることに癒されたというか… これが本来の私なんだなとおもいました。
いままで、誰かを案じたり心配したり、傷つけないように、と、それを最優先にして、毎日暮らして来ていたわけで。 時に毒を吐いたり、甘えを叱ったり、文句いったりすることがあっても、いつも周囲の誰彼に目を配り、気を使い、世話やらお節介をやいていた。
それがまだ肉親とか、近い範囲の人間関係だけならまだしも、私は誰にでも共感する、人間だいすきなひとですから、ちょっと歯止めがきいてなかったきらいがある。
で、客観的にいって、甘えた愚痴とかでも、相手してきいてあげたりして。 自分の方は、ストレスからくるじんましんで、服に血がにじむくらいかきむしりながら、黙ってなが〜い話につきあってあげていたりとか。 自分が過呼吸とか不眠に苦しんでても、相手の苦悩の方がよりつらいだろうからと、自分の状態ははなさなかったり。
なにかで心理的にぼろぼろなときに、相談メールとかくると、ひとりでひとしきり泣いて復活してから、元気にアドバイスしてあげたりしてたなあ。
こうかくと、自分けなげでえらいじゃん、と、あまりに善人すぎて、どこか笑いのつぼにくるくらいなんですが…
やっぱりこれ、無理しすぎというか、知人がこんなだったらとめるなあといまはおもえるので。
これからは素直に、自分のキャパがたりないときは、相手にそういうことにしようときめました。 そして、愚痴や甘えが度重なるひとたちとは距離を置き、もう誰のことも抱え込まないようにしようと決めました。
私は人間が好きだし、誰かと係わり合うことも好きだから、たぶん生き方そのものは、これまでとかわらないと思います。 お節介も、人の世話もやくでしょう。
ただ、いままで「愛する数多くの他者」の側に絶対的においていた軸を、自分が楽に呼吸できる、自分主体の生き方の方へと、気持ちかえていけないかなあと。
利己的にわがままになるかもしれませんが、それで離れていくひとたちがあれば、しかたないかなあと思っています。
もともと私は人間がすきなだけで、だから、いろんなひとに優しくしていたわけで。つまり、優しくすることで、友達がたくさんほしかったわけじゃない。愛や優しさの見返りがほしかったわけじゃない。つまり、まわりからひとが減ってもかまわない。
でいまも、こちらの優しさやら親切やら愛に、見返りは不要だなとおもっている自分がいます。 そしてそれがたぶん、私の本質というか、ねっこの部分であるらしい。
私はたぶん、雑踏のなかでひとり、いきかうひとびとの幸せや、そこにいない友人知人たちの幸福を願いながら、笑顔でいられる人間であるらしいです。 というかたぶん、その身軽さや距離感が、私の幸福なんだと思う。 遠回りして、やっとそれに気付きました。
無理せずに、楽に自由に。そんなふうにいきることで、遠ざかるひとびとがあれば、しかたないなあと、晴々と思っている自分がいます。 これからは、身軽に生きよう。 さあ、さっぱりしたところで、仕事がんばるぞ〜
なんて、真夜中の自己分析兼、自分語りなのでした。
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