日々の泡・あるいは魚の寝言

2006年04月25日(火) 同じ世界で違う世界で

☆今日は母の検査がある予定の日で、それにつきあうつもりで時間を空けていたのですが、病院の機械の調子がよくなかったそうで、検査は中止に。
仕方がないこととはいえ、母も私も、予定が狂って、ちょっと気分がダウナー。
ああ、半日無駄になってしまった。
それどころか、明日また半日使うのか。…と腕組みして考えていたのですが、ちょうど首もまた少し痛いので、母の検査と結果を待つ間、自分の首の相談もしようかな、とか思いつきました。
良い機会だったかもしれず。

☆かもめ亭の狐百合さんの投稿を拝読していて、また数日後に、つづきのレスをしようかなあ、とかおもっているのですが。

まあ、生きる美学が違うひとっていうか、生き方が「怠惰」なひと(あ、いっちゃった)には、何をいっても無駄なのよ、狐百合さん。
ていうか、自ら泥沼に踏み込んで生きている衆生には、なにをいっても通じない、というか、そんなカンダタに手を差し伸べるようなことをしてもな、というのが、私の気持ちだったりします。
いや、「手を差し伸べる」(これはちょっと上からみているなあ)とか、「説得する」「話しかける」ならまだいいけれども、彼女がしたことは、カンダタをしかりつけてるとか、カンダタに喧嘩売ってるとか、そういうことなわけで。
で、それはそれで、「罪」なのだとおもうわけです。泥沼にいる相手に喧嘩売るのに、自分が泥沼にはまりこんでどうする、という^^;
もっとやりようはあったとおもうんだけど、そのへんが若さなんだろうなあ。

☆二十代の頃だったかな。
ふと思ったことがありまして。…このネタは前にもどこかに書いたかな。
仏教では、命は輪廻して、いろんな世界をめぐるといわれているけれど、実は、いろんな世界は、この地球上に、同時に存在しているのではないかな、と、思ったわけです。
同じ現代の地球に生きていても、その人の心がけ次第で、みえてくる世界は違ってくる。感じる幸せの度合いも違ってくるんじゃないかなあ、と。
極楽やら地獄やらが、別個にあるわけじゃなく、同時に、この世界に存在するんじゃないかなあ、と。

つまり、同じ現代日本にいながら、修羅の道を歩む人もいれば、色情の世界に苦しむひともいる、針山を上り続けるように、ひとと争い先頭に立つことしか考えない人もいて、誰よりも愛されたいと飢え続ける人もいる。
たくさんの幸福に包まれているのに、私は不幸だ地獄に生きていると贅沢をいうひともいる、と。
そして、苦しむ人々の横で、「ああ今日も良い天気だ。空気が美味しいなあ」と、極楽に近い世界で、笑顔で生きる人もいる、と。

基本的に、ひとはにた世界観を持つ同士がよりそってゆくものです。また縁というものは、そういうふうによりあわされてゆく。
ひとをあざけり嗤うことを是とするひとびとは、そういう人同士集まってゆくものです。そういう泥沼に違和感を憶えず、それが楽ならば、その中で過ごすのが、その人々の自然で、必然なのではないかと。
ただ、他人を嗤うものは、いずれ、他人から嗤われる。また、自分が他人を嗤うひとならば、その人の心の中では、「人間とは他人を嗤うものである。それこそが人間である」という定義づけがなされているでしょうから、その人のみる世界は、どれほど暗い世界なのだろうなあと。
それはやはり、客観的にみて、「不幸」な生き方であろうといいたくはなります。

☆でもね。だからって、「そこ」で生きている人に、「そんな考え方はするべきじゃないです」といったって、言葉は通じないですし。
上手に相手の行為だけを否定したりすることができるならば、いってみてもいいと思いますが、その行為の中でどこかで、相手の人格そのものを否定してしまったり、「いってやったぞ」「あいつに勝ちたい」みたいな心の動きがあったりしたら、それはやはり暴力、ともに泥沼に堕ちることだと思います。美しいことではない。ほめられるべきことでもない。

他人がどんな世界を輪廻していこうと、それは、その人の選択なので、黙って見守っているのが良いんだと、今の私は思っています。その中で、少しずつ、他者の人格のよいところを発見して、よりそうことができたらいいよな、と。「行為」には善し悪しがあっても、「人格」にはそれはないとおもいたいと、おもっているので。
…「今の」ってあえてかいてるということはつまり、昔の私は違ったってことで、大学時代までは、ひとの考え方にどうこう難癖つけていたものです。
あの頃は若かった。ほんと、いろんな意味で。

☆なんて書きながら、「他者をあざけり嗤うひとびと」を、「泥沼に生きている人」とたとえるあたりが、やはり私もそういう人々を下にみているわけで、まあこれが私の「業」で「限界」なんだろうとおもうわけです。
この私のもつ「業」をもたない、「限界」をこえているひとたちからみたら、私もまた、カンダタの仲間に見えることでしょう。


 < 過去  INDEX  未来 >


chayka [HOMEPAGE]