土曜日は、結局、肩こり頭痛に負けて、討ち死にしていたのでした。 夜更け、起き出して、チャットでちょこっとしゃべったのですが、やっぱり復活できずに、寝てしまいまして。
でも、チャットの流れで、「日曜日は、駅ビルの映画館に、「ヴァン・ヘルシング」を見に行って、帰りは西友でサンマを買って帰ってくるんだ」と、盛り上がっていたのでした。
しかし、日曜日に起きてみると、なんかまだ肩が重かったので、おとなしく家で、幼年童話を書くことにして、午後からゆっくり書いて書き上げて、見直したあと、夜にメールでポプラ社さんに送りました。 12枚で書き上がったお話なんですが、自分で書いていて、涙のつぼに来る話だったので、まいりました…。 これはきっと、明日の朝、ポプラ社の人々を泣かせることでしょう。
泣かせるといっても、悲しい話じゃないんですけどね。 なんというか、「良いお話」系で、癒し系です。たぶん。 お人形童話といっしょで、つくも神というか、モノの魂の話です。 ふつうの幼年童話とは、若干毛色が違うというか、なんだかいつも、私が幼年童話を書くと、微妙に規格外のものになってしまう…。 このあいだ、あらすじを、東京の四谷の喫茶店で、担当K嬢にきいていただいたとき、その時点で感動していただけていたので、彼女の感想が楽しみです。
書き上がったあとは、お風呂に入り、新聞を読み、ひさしぶりでゆっくりと顔の手入れなんてしながら、夜のテレビ番組を見ました。 「あるある」のくま退治の話とか、NHKスペシャルとか。 のんびりとした、いい夜でした。
一方で、ニュース番組を見ると、暗い気持ちになるんですけどね。 人間の命の軽さが、哀しいです。
私が日常生活を送っているときに、のんびりなんてしていたときに、死んでゆく人も苦しんでいる人もいるという事実は、非現実的で、恐ろしく残酷なことで。 でもいつ、立場が逆になるかわからないことでもあり。
大切な日常の繰り返しを、守ってゆくことに、自分がわずかでも力を貸すことができるなんて、そんなふうに考えるのは、おこがましいことだとわかっていますけれど、たくさんの死を知るたびに、瞑目して祈るしかなくなってしまうのが事実ですけれど。でも、やっぱり、子どもの本の作家としては、蝶の羽ばたきが世界に影響を与えるように、どこかでどこかで、遠い未来に、自分がまいた種が、芽をふいて、よいことのための力になってくれたら、と、祈らずにはいられません。 今の自分自身の無力さがわかるだけに、未来をせめて、夢見ていたいと思います。夢見るために、書き続けていたいと思います。
せめて、私は、地球の片隅で、ささやかな日常をいとおしむことや、ひとつひとつの命の価値をうたうことを、続けてゆきたいと思います。
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