日々の泡・あるいは魚の寝言

2004年02月11日(水) 幸せの絶対評価

今夜は、弟一家とイタリアのご飯を食べにいきました。
パスタやらピザやら、いろいろとおいしかったです。
帰り道は、弟の運転で、きれいな長崎の夜景を見ながら走りました。

でまあ、その時、私が、なにげに話題にしたことなんですが…
「主観的にいって、自分は幸福と思うかどうか考えてみよう」

弟は、口ごもりつつ、
「えー。たぶん自分は幸せなんだと思うよ。仕事も恵まれてる方だと思うし……」
「そりゃだめ。『仕事も恵まれてる』というのは、世間一般とか、ほかの人と比べてるでしょう? それは、客観的に自分の幸福をはかってる。そうじゃなくて、『自分が』幸せかどうか、考えてみるの」
「むずかしいんじゃないの〜? 幸せってやっぱり、ほかの人と比べて、自分はこうだとか考えるものだと思うよ」
「それって、幸せの相対評価じゃん。そうじゃなくて、自分の幸せを絶対評価してみるのよ」
「んー。なるほど。……でも、職業柄、自分を客観視するのがみについてるから、主観で語るのはむずかしいもんだねえ」

そこから、話は、通知票の話に転がり込んでいったので、結局、結論は出なかったのですけれど。

幸せというものを、どういうものとして認識するかによって、その人の気持ちは変わってくるのではないかなあと思います。
人と引き比べて、自分の幸せの偏差値をはかるより、自分の心の中の幸せの量を、一つまた一つと、手のひらにのせて数えるような生き方を、私はしたいと思っているし、そういう人が好きです。

たとえば、どんなに悲しい時でも、さみしい時でも、気がつくと、その代わりのように、「幸せだった過去」という思い出があるわけで、泣いている時でも、過去のことを思って笑えるような自分でありたいと思います。

ま、お気楽なだけなんですけどね、つまりは。
いつも日だまりの猫のように、目を細めて、にこにこ笑っていたいです。


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chayka [HOMEPAGE]