日々の泡・あるいは魚の寝言

2004年01月27日(火) 友達がほしい人々

最近、いろんな人たちと、あちこちで話題にするのが、「友達がほしい人々」のことです。
ネットには、おとなも子どもも、「友達がほしい。友達になって」というかきこみをする人々が多いよね、という話。

実際、うちの子ども用掲示板あたりにも、よく、「友達になって」というかきこみがあるのです。
「学校には友達がいないの。だから、友達になって」

そういうかきこみがあったとき、私は、「誰かに友達になってもらうのではなく、あなたが誰かの友達になりなさい」とレスをつけます。

でも、なかなか私の書いたことの意味はくみ取ってもらえなかったりして。
子どもたちは、どこかに用意されている(と想定しているらしい)親友を捜して、叫び続けます。「友達になって!」

「友達がほしい人々」には、共通の類似した性癖があります。
今の状態の自分を、丸ごと受け止めてほしい、と、発言すること。
自分は傷つきやすいというわりに、人を傷つける言動をしても平気なこと。
上記二点は、つまり、他者の感情への共感性が乏しい=いい方はきつくなるけど自己中心的である、ということを表しています。
彼ら彼女らは、自分が世界の中心である、地動説の世界に生きています。

もう一ついうと、「リアル世界で友達ができないのは、自分が悪いんじゃない。〜だからだ」と、理由を自分の性格以外の所(生活環境だとか生育歴だとか、意地悪な友人たちのせいだとか)に求める傾向もある。

けどさあ…。
認めるのは痛いことかもしれないけれど、友達ができないのは、自分の人付き合いのやり方がまずいからだって、認めた方がいいと思うわけですよ。
自分に問題があるからだって。

その人たちの性格が悪いとはいわない。その人たちの存在のすべてを否定するわけじゃない。
でも、はっきりと、「自分は人付き合いが下手」「なんかやり方がまちがってる」と気づいたところからはじめないと、人付き合いのやり方を変えないと、永遠に友達はできないと思うのです。

ネット上でも、リアル世界でも。

「あなたが誰かの友達になりなさい」という私の発言は、つまり、そういうことです。
自分が変わること。自分が今の状態から一歩踏み出すこと。
そうして、誰かの思いに、自ら進んで、共感すること。
相手にあわせ、相手の心情を第一に考えること。

そうして初めて、友達ができるのだと思います。


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chayka [HOMEPAGE]