それはもう、二十年以上も前のこと。 ある街の、繁華街のメインストリートに、その書店はありました。 店の中には階段があり、二階か三階までも、本棚が並んでいました。 書店の名は、「青春書店」。 そこではなぜかいつも、小鳥のさえずりの音のテープが鳴らされていました。 ブックカバーは、くすんだ黄色の紙に、緑色の樹のシルエット。 「小鳥の声が聞こえる青春書店」というのが、店のキャッチフレーズでした。
その作家は、まだ中学生だった頃、その書店で文庫本を買いました。 外国の作家の短編が好きで、O・ヘンリやサキや、あるいは「シャーロック・ホームズの冒険」あたりも、その書店で買ったのかもしれません。 作家は、小鳥の声が聞こえる、その書店が好きでした。 そして、階段を上り、見上げるたびに、 「ここはなんて大きな書店なんだろう」と、うっとりしていました。 作家は、子どもの頃から、本が好きでしたから、大きくて立派な、その書店が大好きだったのです。
それから、二十年以上の年月がたち、おとなになった作家は、その書店を訪ねてみました。 「まだ続いているかどうかわからないけどね」なんて、周囲にはいいながらも、心の底では、あの店はきっとまだあるに違いない、と、信じていました。
かつて、バスで通っていた街に、作家は電車に乗ってたどりつきました。 残暑のまぶしい日差しに包まれた街は、昔通りに人々が大勢行き交い、にぎやかに栄えていました。 作家は、ここまできたものの、どうやって店を探せばいいものか、一瞬、とほうにくれました。でも、いい年をして、「なるようになるさ」と思うたちでしたし、店を探しながら歩くのも、楽しいかと思いました。
歩き出してまもなく、一軒の店が目にとまりました。 大きな看板をつけた、書店です。 古いタイルが壁に貼ってある、歴史がありそうなお店でした。 しかし、看板の文字は、青春書店ではありませんでした。 あたりまえだ、と、作家は思いました。 「なんか気になる本屋さんだけど、青春書店じゃない。あそこは、あんなに小さな店じゃなかったもの」
それから、ぐるぐると作家は街を歩きました。 けれど、残暑の街をいくらさがしても、青春書店はありません。 ふと不安になって、ちょうどでてきた、古そうな薬局の薬剤師さんにきいてみました。 「あの、もう二十年も昔のことになると思うんですが、このあたりに、青春書店という本屋さんがなかったでしょうか?」 「ああ」と、妙齢の女性薬剤師さんは、白衣の腕を伸ばしました。 「あそこは名前が変わっちゃったんですよ。あっち、駅のそばに、ありましたでしょ」 「え」 駅のそばにあった書店というと、通り過ぎてきたあのお店しかありません。 薬剤師さんは、言葉を続けます。 「なんだかね、経営者の方もたぶん、変わっちゃったみたいで」
作家は、そのお店まで戻ってみました。 そして、中に入ってみました。 見上げるとそこに、昔確かに見上げた記憶がある階段がありました。 小鳥のさえずりは聞こえませんでした。 まだ、信じたくないような気がしながら、作家は、レジにいた若い青年に尋ねてみました。 「ここは昔、青春書店という名前だったんでしょうか?」 めがねをかけた、まじめそうな青年は、どこかに電話をかけて、 「はい、そうだったみたいです」と、答えました。
作家は、まあしょうがないか、と思いました。 いくらなんでも、二十数年の歳月は長すぎます。店の経営者がかわるなんてことも、ありそうなことです。 それに、と、作家は思いました。昔は本当に大きな書店だと思っていたけれど、昔の自分は、子どもだから背が低かった。それにだいたい、いまの自分は、これよりもいくらも巨大な書店さんを知っている。だから、店が思ったより小さく見えてしまうのも、仕方がないことなんだわ。
児童書のコーナーに行きましたが、作家が書いた本はなかったので、雑誌と文芸書を買いました。レジでお金を払うとき、「実は自分は童話作家でね。子どもの時に、ここでよく本を買っていて…」と青年に途中まで話しかけて、なんとなくやめて、笑顔で書店を出ました。
商店街の大通りは、ところどころ昔のままで、ところどころ新しい、キメラのような街になっていました。 作家は、模型やさんの店長と話し込み、通りすがりの老いたチワワをつれた老婦人と犬の話をし、化粧品店で、珍しい香水を見つけて喜んだりしました。 作家と同世代の、模型やさんの店長さんは、「もうこの街も、すっかりかわって悪くなっちゃって。悪い子が増えたし」と苦笑していましたけれど、作家にはこの街は、そう悪い街だとは思えませんでした。 化粧品店の、街の生き字引のような妙齢のお姉さまは、作家が話のつれづれに、この街への思いを話すと、目を潤ませて感動してくれたので、作家はつい、気前よく、「記念に一本だけ買うつもり」だった香水を、二本も買ってしまったりもしました。 お姉さまはいいました。 「お客さんは、引っ越しと転校の連続で、そりゃあ大変だったかもしれない。でも、それで、いまの積極的な誰とでもお話しできる人になれたのなら、いいんじゃないの?」
駅のそばの、どのお店かの入り口に、電光掲示板が飾ってありました。 作家が最初、そのそばを通り過ぎたとき、そこにはたまたま、「お帰りなさい」の文字が、点滅しながら表示されていました。 時間は夕方近く、その駅に降り立つ人々のために、そこにはその文字が映るのでしょう。 でも、作家は、街の魂が自分に、「おかえり」をいってくれたのかもな、と、少しだけ笑いながら、思いました。
昔、ある街の繁華街に、小鳥のさえずりが聞こえる書店がありました。 子どもの頃の作家は、そこで、O・ヘンリやサキの本を買い、そしてやがて、自分も作家になりました。
昔、青春書店という名前の、立派な書店がありました。
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