日々の泡・あるいは魚の寝言

2003年05月09日(金) 父と娘

うちの弟には、八月に四歳になる娘がいるわけですが、これがもう、かわいがってかわいがって育てていて、みていてほほえましいです。
で、甘やかしながらも、うっとりした目で、将来への希望を語ったりしてて。
父親の愛ってねえ(笑)。

私と私の死んだ父は、性格が似ているところもあり、正反対のところもあり、で、反目しあったり、お互いを認め合ったりしあったりしながら、一緒に暮らしていたわけです。
父はとにかく、愛情が濃い人で、感受性が豊かな人で、冗談やじゃれあいが好きな人でした。
過干渉が嫌いで、神経過敏で、家族といえど一線を引いたつきあいを好む私とでは、なかなかうまくいかないのもあたりまえというわけで。
おまけに、父は自衛官で、私は戦後民主主義の中で育った人ですから。一緒にニュースでも見ていたら、口論からケンカに発展するのが常でした。
またお互いに理論派っていうか、理屈っぽい親子だったし。
でも、決して嫌いな人じゃなかったな。善人だってわかってたから。
英語が堪能なのも、漢字に詳しいのも、尊敬していた。
父も私のことを、気に入っていたと思います。

父には、私をこんな風に育てたい、という希望がいろいろありました。
常に口に出して、いわれていたものです。
「誇り高くあれ」「賢くあれ」「人に頭を下げるな」「正しいことを行え」「困っている人がいれば、自分の身を犠牲にしても助けるべきだ」
…どこのお嬢様を育てようとしてたんでしょうか(笑)?

まあ、父の希望のすべてが叶ったかどうか知りませんが、気がつくと大人になった私は、勘違いお嬢様のように、常にプライド高いです。
どこにいっても誰と会っても、笑顔でいられるのはいいことだと思っているけれど、その代わり、人に頭を下げるのは苦手だし、ざっくばらんとかそういうのが不得手な、常態がフォーマル仕様な人間になってしまいました。それで損することもたびたび。
ああ、お父さん。あなたは一度も、「素直になれ」とか、「長いものには巻かれなさい」とか、「女らしく」とはいわなかった…。

父は作家志望でしたが、結局は夢は叶いませんでした。
私にライバル意識を燃やして、「負けないぞ」といつもいっていた人でしたが。
癌で死ぬ少し前に、「おまえのことは心配していないから」といってくれた父は、私に関しては思い残すことはなかったのでしょう。
ある意味、著書を残せなかった父がこの世に残した作品が、私という人間だったのかもしれないな、と、今日、ふと思いました。


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chayka [HOMEPAGE]