日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年08月13日(火) あかりちゃん3才おめでとう☆

今日、8月13日は、うちの姪の誕生日です。3才になりました〜☆
もー、目が大きくてお鼻がかわいくて、不二家のペコちゃんみたいな顔してて、頭はいいし、声はかわいいし、自慢の姪っ子なんだよう〜♪
…とか書くと、おばさん馬鹿丸出しですか(笑)?

でも、かわいいものはかわいいんだから、仕方ないの〜v

またその子が、生まれたその日から、二週間に一回、あっている子となれば、早送りの映像を見ているように、成長しているのがみてとれるしねえ。
生まれた日は、手のひらにのりそうなほど、小さくはかなく見えた赤ちゃんが、今じゃあ、とたとた足音たてて、家の中走ってるしねえ。
わたしのこともちゃんとおぼえてて、「おねえちゃ〜ん」(わたしは「おばちゃん」でいいのに、弟の奥方様が気を遣ってこう呼ばせているのだな)と呼びながら、ぎゅーっと、抱きついてきてくれるし。
ああ、我が子でもないのに、こんなにかわゆい子どもから抱きついてもらえる幸福を、弟夫婦と、神さま、それから本人のあかりちゃん、ありがとう〜!

彼女が今日でもう3才になるんだと思うと、いろいろ思い出してしまいますね。
彼女が生まれる前、お母さんであるところの弟婦人は、つわりがひどくて倒れてしまったこととか。なんにも食べられなくなって、やつれちゃったんだよね〜。あれは一目見て、びっくりするくらいのやせ方でした。
おなかが大きかった時の、おなかをかばう仕草とか、表情とか、なんだか一つ一つ、思い出せてしまいます。絵みたいに神聖な情景をたくさん見ました。
弟も、奥さんと生まれてくる子供に対して、なかなかに、優しいところがあって、ほほう、と思ったりもしましたね。
そうして、姪っ子は生まれてきたのでした。

いま、弟夫婦が子育てをしているのを見ていると、人間一人育つのに、どれほどの労力と精神力がかかるものか、百分の一くらいは想像できるような気がします。
赤ちゃんは、おとながせわしないと生きていくことすらできないし、幼児はマナーやしきたりを教わらないと、人間として、成長できない。
この営みを繰り返して、人は新しい社会の成員を育てはぐくんできたんですねえ。

そんなことを考えつつ、児童文学作家としてのわたしは思います。
わたしの本を読んでくれている読者の子どもたち。
あのひとりひとりが、こうやって、お母さんから生まれて、両親をはじめとする人々に育てられ、成長し、字を覚え、本を読めるようになり、そうして、わたしの本を選んで読んでくれているんだな、と。
そうして、お手紙をくれたり、ホームページの掲示板に書き込みにきてくれたりするんだな、と。
かつては、赤ちゃんで、泣くことでしか感情を表現できず、寝返りもやっとだったような幼子が、今はそこまで大きくなったんだな、と。

その子どもが成長してきたということの感動と、背後にあるその子を慈しんできた人々の手を想像すると、自分の職業にまたひとつ責任を感じてしまい−−また、同時に、「やっぱり、子どもの本の作家でよかったな」と思ったりもするのです。
子ども一人一人の尊さを、どうしても、仕事で本を書いていると、忘れてしまいがちになるけれど、つい、massでとらえてしまいがちになるけれど、でも、それはいけないことなんだ、しっかりしなきゃ、と、思いました。

わたしは、知識を活字で得ることが好きです。
たぶん、物事を考える時、「客観的な視点で見る」ことをまず第一に考えるからかもしれない。だから、自分の感情をよりしろにした意見を展開してくるタイプの人や、そういう思考は苦手なわけで、そこから派生して、「何事も経験しなきゃわからないのよね」的な考え方には否定的になってしまう。
でも、こうやって生身の幼子にふれていて、初めてわかったことがあるのも事実なので、これからは、経験や体験というものの価値を、もっと認めてあげなきゃなあ、と、ちょっと反省したりしているのでした。

あかりちゃん、お誕生日おめでとう。
いろんな大切なことを、わたしに教えてくれて、ありがとうね☆
これからも、ずっと、ずっと、あなたが幸せでありますように。


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chayka [HOMEPAGE]