日々の泡・あるいは魚の寝言

2000年11月26日(日) プレゼント

今夜は、家族でイタリアのごはんなど、食しにいきました。
海辺のレストランで、大きな窓から見える夜景も美しく、料理もおいしく、いうこと無かったのですが、おもしろかったのが、生後一年四ヶ月になる、姪っ子です。

一緒には暮らしていないということもあって、楽しく彼女の成長の話など聞いていたのですが、このごろ彼女は、何かやましいことがあると、「ものをくれる」そうです。
たとえば、紙を破ってしまった、ものを落とした、などの彼女なりにやばそうな行為をしてしまうと、「はい」と、両親にものを渡すというのです。

それはたぶん、彼女なりの「とりつくろい」というか、「おわび」というか、そんなものなのだろうとわたしは思ったわけです。
愛情表現のためのコミュニケーションとして、ものを渡している。
なぜって、乳幼児は相手にものを渡すのが、愛情表現だと思っているからです。

うう。今夜はひざの上の猫をなでながらなので、右手でしかキーが打てなくてつらい。

ええっと。赤ちゃんは、与えられるそんざいなわけです。
まだ自我もなにも育っていない状態から、与えられ続けて育てられる。
すると、いつか、愛情とは、相手に何かを与える行為であると、おぼえる。

最初は、それは、母乳であり、おもちゃであり、離乳食ですよね。
物質です。
で、赤ちゃんは、成長するにつれ、今度は親に、ものを持ってくるようになります。愛情表現として。

でも、大人の人間は、愛情表現は、物質だけじゃないと知っていますよね。
精神的な言葉のやりとりだけで、愛情が表現できるのだと知るようになるし、表現もする。
いつのまに、それがわかるんだろうと、不思議に思いました。

いつ、赤ちゃんは、人間に成長するのでしょう?


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