CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年06月22日(土) GoBackToKOREA(02/06/20 W杯観戦の章その1)


2002/06/20金曜日 京都-釜山


釜山で日本語の教師をやっている亮佑の所に遊びに行ったのは今年の3月のことだった。
今度は6月ぐらいにまた必ず行くからと言って僕は韓国を後にした。
ワールドカップを見に行くつもりで。
チケットは余っているとは聞いていたものの、
まさか本当に買えるとは思ってもいなくって、
チケットが家に届いたときは感動だった。
2002年6月21日金曜日。準々決勝・尉山。
今に来る来ると思っていたのだけれども、
今回もまた、すぐにその日はやって来た。
さすがに今回は前日までにかなり準備を整えておいたのだけれども。
まあ釜山は今年二回目、韓国に至っては今回で6回目だから、
それほど緊張してないんだけど。
欲を言えばもっと韓国語を勉強してから行くべきだったかなあと思う。


今回の旅の目的は、ワールドカップ準々決勝観戦がメインの目的。
高校の時の同級生、カシウチさんと一緒に観戦予定である。
一緒にとは言うものの彼は東京からやってくるので、釜山で合流予定である。
頼りになるのは亮佑の携帯のみと言うなかなか心細い状態。
これがつながらなかったら尉山のスタジアムでしか会えないのだ。



さて前回は大韓航空で行った釜山だが、今回はアシアナ航空で行くことになった。
アシアナ航空は日本では結構マイナーだけれども韓国で2番目の航空会社で、
主要都市には国際線も飛んでいる。
惜しむらくは日本からの接続が今一つな点で、
接続さえ良ければもうすこし遠くに行くにも使えるのだが・・・
機材は大韓よりもちょっと古くて小さいのだが、
3000円安かったのでこっちを選択した。
正味フライト時間1時間の距離だから、マイルも貯めようが無い。
初めて乗る航空会社って緊張するんだけど、アシアナは地上職員の制服が可愛らしい。
これは期待大!(何がやねん)


いつもの如くやたらと前置きが長くなってしまった。
この調子では韓国に辿り着く迄にかなりの文字数がかかりそうだ。
まあ例によって行きはお金をケチって関空までは快速で行く。
タクシーを使いたいのだがまあ2000円の差は結構大きい。
梅田までは阪急電車で向かう。
昨日から読んでいた三浦綾子の「塩狩峠」を最後まで読んで感動している間に梅田には着いた。
最近本当に寝不足だったから、どうもやたらと眠くって、関空快速の中ではまたもや熟睡。
着いたら12時。
集合時間は少しだけ過ぎていたが、まあこれぐらいは許してもらえるだろう。

ちょっと遅れたとは言え、
チェックインだけ済ませてしまったら後はもうやること無し。
特に一人で行くときはBORDINGまでが非常に待ち時間が長いのだ。
大体本屋とかに行って暇をつぶすことが多い。
なんせ関空は全てが飛行場料金なのだ。高い。
テナント料とかも高いのは分かるけどひどい。
それでも背に腹はかえられずマックに行って昼ご飯を食べてしまった。
関空発は13:50だからちょっとお腹が空いたのだ。
機内食もほとんど期待できないし・・・
関空特別料金?でハンバーガーセットが520円だった。高い。
テリヤキセットに至っては680円である。誰がこんな高いマックを食べるかい! 
と思いつつも食べてしまった。とりあえずは一番安いハンバーガーセット。貧しい。
本屋では塩野七生の「ローマ人の物語」の文庫版を購入。
読むヒマ、無いかもしれないが。
(2002/06/24)


そうしているうちにいい時間になった。
長いようで短いのが待ち時間。
待合室に入って少し経ったらもう搭乗。早い。
メールを打ってるようなヒマも無い。
今回の飛行機はA321。大韓航空もエアバスだった。
エアバス好きなのかなあ? 韓国。
飛行機は左右二つのブロックしかないような小さな飛行機だった。
こんなに小さい飛行機はアイスランド航空以来・・・と思ったが実はバンコク・エアウェイズ以来。
大韓航空に比べたら飛行機は明らかに一回り小さかった。
まあいい、どうせ正味1時間しかないフライトなのだから。

さすがにワールドカップ開催中のフライトだけのことはある、飛行機は満席だった。
隣の席の人々もサッカー観戦らしい。明日の尉山も明後日の光州も行くそうだ。
尉山は釜山から一時間で行けるからいいけど光州は4時間半、さすがにきつすぎる。
カシウチさんは行こうか迷ったらしいが、僕はまあいいや。
どっちにせよ、ベスト8に韓国が勝ち上がってしまった時点でチケはもう売り切れだろう。
うーん、しかしにわかサッカーファンだなあ>僕
と密かに鞄の中にしまいこんだ中村俊輔Tシャツを想う。
せっかくだからこのお祭り騒ぎの雰囲気を楽しみたいのだ。

アシアナの機内食は結構美味しかった。
ライバル?の大韓と比べても、こっちの方がはるかにボリュームもあって、
蕎麦なんかも付いている分アシアナの勝ち!
出掛けにマックなんて食べる必要も無かったかもしれない。
だだなんか客室乗務員は無愛想で、頼まなければビールももらえなかった。
頼み込んでもらったのはいいが冷えていないビール・・・そんなん飲めるかっちゅーねん。
僅か一時間のフライトに期待する方がいけないのかもしれないが。

釜山へのフライト時間は本当に短い。
新聞読んで機内食食べてビール飲んで機内雑誌を読んだらもうそれで終わり。
寝るヒマももう無く釜山に飛行機は到着した。


さすがに3月に来たばかりの釜山ということもあり、手続きはスムーズに進む。
入国審査も、両替も、別に問題ない。
サクサクサクと進んでいく。
あ〜亮佑に電話しないとしないと〜、って感じになってなって電話。
・・・なんだか機嫌が悪そうな亮佑だった。
大丈夫かなあとちょいと不安になる。
その後インフォメーションで明日の尉山の行き方とかを聞いておく。
ついでに「まるごと釜山」なるフリーの情報誌をもらう。
面白いんだわコレ。しかも置いてあったのは最後の一部だった。
ラッキー〜!! と当然の如くもらって帰った。

で、リムジンバスに乗り込むか・・・と思ったが、
しまった!機内に預けた大きな荷物を持ってくるのを忘れてた!
荷物をピックアップするのを忘れるなんて間抜けなことをするのは初めてだ。
あまりにも気が抜けていたというか、焦っていたのかもしれない。
慌てて荷物預かりのタグを警備員に見せて、荷物を取りに戻った。
残っていたのは僕の荷物だけ・・・良かった〜。
しかしそれにしても荷物が一つだけ残っている光景は恥ずかしいものがあった。
係の人も困っていたに違いない。


気持ちを取り直してリムジンバスに乗り込む。
これまた3月の時とは違ってほとんど満席だった。
しかもほとんどは日本人。
あのときはほとんど日本人になかったからなあ。
たぶんほとんどがサッカー観戦に違いないのだろう。

今回もまたぼんやりしているうちにバスは進む。
見慣れた景色が視界に飛び込んでくる。
最初は違和感のあったハングル文字だが、それもだんだんと眼に馴染んでくる。
3月の初めにここにやってきたことを僕は思い出して実感。
ああ、僕はまたこの街に帰ってきたんだなあってことを。
生まれ故郷は日本にあるはずなのに、何故か此処は懐かしい匂いがする。

バスはそしてロッテホテル前に到着!
何人か降りる乗客。
そして当然泊まるようなふりをしつつ僕はロッテホテル内に入る。
・・・・こんな高級ホテル最近泊まった覚えがない。
ロビーの電話から亮佑に電話して、迎えに来てもらうことに。
ホテルに隣接するロッテデパート前にはインフォメーションがあるのでそこで待っていて欲しいとのこと。
そこで僕は亮佑を待つ。
(2002/06/25)


ひょっとしたら尉山のスタジアム行き直行のバスが出ていないのかなあと思い、
インフォメーションで情報を確認したが、結局の所空港のインフォメーションで聞いたことと変わらず。
日本語が結構通じると言われている韓国だが、空港でもここでもコミュニケーションは英語だった。
韓国における日本語の需要と言うものはやはり以前よりも減りつつあるのかもしれない。
(と言っても以前として日本語の需要が多いのは事実だが)
結局釜山総合バスターミナルが地下鉄の終点である老甫洞にあるので、
まずはそこまで行ってそしてバスに乗り換えて尉山に向かうと言うことだ。
地下鉄の終点だから、30分ぐらいはかかるらしい。遠いなあ。
とかとか思いながら説明を受けているうちに亮佑と・・・ジョンさんがやってきた。

亮佑には5月に会ったばかりだけどジョンさんとは3ヶ月ぶりの再会!
ふたりともあまり変わってない・・・ことはなくって、
なんか髪の色がずいぶん変わっているような気がするなあ、ふたりとも〜。
亮佑は眼鏡も韓国製に変わっている。色までついております。
もうすっかり韓国に同化している感じ。羨ましい。
まあ亮佑はともかくとしてジョンさんとの再会は僕もとても嬉しかったものの、
なんだか緊張してしまってなかなか会話は進まない、と言っても最初のうちだけだったんだけど。

しかしまあ、会ってすぐにジョンさんが言ったことは、
「まさか本当に来るとは思わなかった」だもんなあ。
こっちも「ジョンさんちょっと太った〜?」とか言ってるし。
まあこんなことが言えるぐらい仲良しってことなんだけどね。
あの時僕は言った。
「必ずまた僕は戻ってくる」
もう、信じてなかったのかよ〜。
僕はこうして戻ってきた、そう、情熱は約束を守る。
今度はいつ、戻ってこれるかわからないけど、でもまた来たいとは思っている。
でもとりあえず今は、今回の滞在を楽しまなくっちゃね。
それはそうとしてジョンさん、「太った〜?」なんて僕が言ってしまったのは、
ジョンさんのガタイがあまりにも良かったからなんだよ〜。
胸板とか分厚いんだよね〜。亮佑とか僕に比べてさ〜。
しかし筋肉がTシャツからあふれてるみたいだよ。
ちょっとTシャツ小さすぎるんじゃない〜?
なんて事を思ったのだった。
でも久しぶりに会えて本当にうれしかったなあ。
ジョンさんと亮佑もあれからもっともっと仲良くなったみたい。
いいなあ、って思った。


そしてPAGODA学院に向かう。
言わずと知れた、亮佑が日本語を教えている場所である。
ジョンさんはこの学院でアルバイトをしているのだ。それで亮佑と知り合ったという訳。
久しぶりにPAGODAの門?(実際はそんなものはない)をくぐる。
PAGODAの中はほとんど変わっていなかった。まあそりゃあそうだ。
亮佑先生、しかしそんなメッシュの入った金髪で授業やっていいんですかい?
しかも服装思いっきりラフだし。
ツッコんでみたら今はワールドカップ開催期間中だからいいとのこと。
何でもありだなあ韓国。日本なんて職場で見るなとか無茶言われてるのにさ〜。

PAGODAの4階のソファで僕らは座っていろいろ話した。
3月に初めて話した時は、まだまだ外は寒かったなあと思いながら。
あの時一緒に撮った写真と同じようなポーズを取りながら写真を撮った。
すごく不思議な感じがした。
季節が流れてもそこに存在するものは変わらない。
釜山の街も所々変わったような気もするけど、
だけど変わらないものは同じだ。
僕とジョンさんや、亮佑との海を越えた友情も変わらずにいたらいいのにね。


そうやって僕らは久しぶりの再会を懐かしんでいたんだけど、
ジョンさんが学校に行かなければならない時間になったので、
一度お別れ。その間は結局どうすることになったかと言えば、
授業にまた参加することになったのですよ、やっぱりね。
ジョンさんと別れた後僕らは、PAGODAの講師室に行った。
お久しぶりに日本語科の主任、韓京(ハンギョン)先生にご挨拶。
「私のクラスが今からあるのですけれども是非出て下さい」
分かりました韓京先生。
先生のおっしゃることなら不肖私、授業に参加させていただきまする。
で、出てきたんだわ。なぜか亮佑先生も一緒。
彼のメッシュの入った金髪具合たるや、絶対に一見先生には見えなかったであろう。
これもワールドカップ期間中だからいいのかなあ。
(2002/06/26)

韓京先生のクラスは初級会話のクラスって事らしい。
最初は、日本人に対して質問して下さい、とか言うところから始まる。
皆さんいろいろなことを聞いてくるねえ。
「恋人はいますか」とかとか、結構プライベートまでツッコまれたりして。
「いません」とか答えるのは辛かったりする。ううむ。
しかしまあ、使っているテキストの日本語はやたらと難しかった。
茶道とか精神鍛練とか出てくるような文章を暗記しているのだ。
ちょっとコレ日本人でも難しいような文章なんですけど〜、とか思いながら一緒に聞いていた。
韓京先生の授業は、ツボを押さえた非常に楽しい授業だった。
笑いをとるところでは生徒の笑いをとり、
予習をしないところではこわ〜い顔を見せたり、
でも結果として非常に内容の充実した授業だった。さすが韓京先生!
亮佑先生も是非頑張って欲しい。
隣で授業を受けていたのは釜山大学に在学中の学生。
いかにも純情そうでかつ賢そうな少年だったなあ。
僕にもあんな時代があったのだよ(嘘)とか思ったりして。
そうそう、今回はちゃんと授業の後にみんなで記念撮影は欠かさずにやりましたよ。
みんないい笑顔で写っております。


次は亮介先生の授業。
なんだけど、ちょっとだけ韓京先生の授業に来て下さいと言うことなので、
ちょっとだけ出てきた。
このクラス、実は3月に、発音練習を僕がしたクラスだったのだ。
懐かしいなあ。
あの時は教室一杯だった生徒も今は半数以下になってしまった。
でも覚えてる。ノート見せてもらった生徒の顔もよく覚えてる。
生徒の皆さんなんて僕のこと覚えているだろうな〜。
いきなりやって来た日本人ってインパクトあっただろうもんなあ。
またみなさんにお会いできて本当に嬉しかったです。
ってちょっとだけご挨拶して教室を後にした。

そうして亮佑先生の授業に移動。
毎月毎月授業体系は違うみたいで、以前の授業のメンバーとはまた違っていた。
普通の語学学校と同じように変わるんだなあ。
先生との相性もあるし、自分の時間帯の都合もあるし、
本当にいろいろだ。
クラスを移って行く生徒も勿論たくさんいる。

「一期一会」って言葉を最近本当に感じることが多い。
多くの人たちと僕は出会い、そして別れていく。
それっきりになってしまう人もいれば、
そのまま友情が続いていく人だっている。
ジョンさんみたいに、会ってすぐに友達になれるような人だっている。
色んな出会いを本当に大切にしたいと、旅に出るたびに僕はいつも思うんだ。

明後日にスペインとの準々決勝を控えたせいか、
韓国でもワールドカップは盛り上がっているらしい。
赤いTシャツを着て韓国を応援する、「レッドデビル」のことがこの授業で話題になった。
みんな絶対に勝つ気でいるのが本当にびっくりする。
これが日本だったら、ほとんど誰もスペイン相手に勝てるなんて思わないだろう。
久しぶりに日本語会話の授業に参加したけど楽しかった。
ちょっと疲れていたのだけれども楽しかった。
今回はだけれどもあまり授業の内容を正確に覚えてない。
前回あれほど克明に覚えていたのが本当に不思議に思える。


PAGODAのパソコンでまた日記をかかせてもらってから、晩ご飯を食べに行くことになった。
本当はジョンさんの友達をお酒を飲もうとか言う話になっていたんだけど、テストがあるとか言うことで、今日は延期になったのだ。
で、亮佑と、後はリュウくんと言う亮佑のクラスの生徒さんと一緒にご飯を食べに行くことになった。リュウくんは、実は3月の亮佑の誕生日にケーキを買ってきてくれた青年だ。
すごい優しい青年で、一緒にご飯を食べて楽しかった。
明日の3時間目の授業でもまた会えるみたい。
晩ご飯はスンドゥブチゲ。豆腐のチゲ。
スンドゥブチゲも結構好きなんだけど、なんか今回は味がしっかりついていなかったような・・・ ただしここの店はおかずが食べ放題で、それをいいことにたくさん食べたなあ。
パジョンとかプルコギとか美味しかった。しかしメインのチゲはやっぱり今一つだったみたい。
時々日本にもあるよね、こういうお店。


まあそれはそうとしてそろそろ到着予定のカシウチさんから電話が全然かかってこない。
実は晩ご飯を食べたお店は地下にあって、電波が入るかどうかが心配だったのだ。
でも韓国の携帯は平気で地下まで届くらしくって、アンテナもちゃんと立っていた。
しかし連絡は来ない。うーむおかしい。
とりあえずはロッテホテルまで様子を見に行くことにする。
10時過ぎにはリムジンバスも到着しているはずだから、もし連絡が取れなくても待機していてくれるはずだ。いっこうにかかってこない電話にやきもきしながら、ロッテホテルに急いだ。
これだから連絡手段が電話のみというのは本当につらいんだよなあ。
僕も3月の時は本当に緊張した。

・ ・・ロッテホテルに入ってしばらく周りを見渡していたら、
ひょっこりカシウチ氏登場。よかったよかった。
しかし電話はどうなっていたんだか。と聞いてみたら、
「つながらなかった」との事。
やっぱり地下が悪かったのかどうかはわかんないけど、出会えなかったときのことを考えるとヒヤッとした。ま、会えたから良かったんだけどね。


ジョンさんが戻ってくるみたいだったから、
近くのマクドナルドでジョンさんを待った。
しかし時間はすでに11時近く。
ジョンさんに来てもらってももうあんまり時間がないなあと思ってしまう僕。
テレビではBoAが映っていた。
韓国のBoAは、日本とは違ってかなりダンサブルだ。
やっぱり日本と韓国では戦略あ違うのだろう。
と待っているうちにジョンさんが来てくれたんだけど、
もう時間は遅い。そろそろ帰らないと、ね、先生、明日もまた6時半から授業があるんでしょう? で当然僕も参加するんでしょう?
「当たり前ですよ」と亮佑先生。
ごめ〜んジョンさん。ということで今日はそろそろお別れなのだ。
「え〜?! そりゃ無いですよ〜」とはジョンさん。
いやいや、まあまあ、また明日、そして土曜日に一緒に韓国を応援しつつ一緒に過ごそうではないか。と、不満顔のジョンさんには本当に申し訳ないながらも家路に着いた。
ごめんねジョンさん、せっかく来てもらったのに。
明日の授業が6時半なんかじゃなけれりゃ今日は一緒に遊んだんだけどなあ。
すげえ残念。いや本当なのよジョンさん、信じてよ〜。
と言うことで久しぶりに亮佑のアパートに行って男三人、雑魚寝したのでありました。

一日目終わり(2002/06/27)




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