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喜怒哀楽 - 2003年06月27日(金)

なんだか一日フワついた感じがしています。
たまに訪れる、この現実感のない日常。

私がもし、精神鑑定を受けたら、異常判定が出る気がします。

先日取材した学会で児童虐待の講演がありました。
虐待をする親は、同じく幼い頃、虐待を受けていたという
今ではもう当然のように語られるこの「親子連鎖」の話です。

その中で虐待で子どもを死なせた親の話がありました。
その親は、結局はみずからも幼い頃に虐待を受け、解離性障害だったのですが、
この症状(虐待ではなく、日常生活への認知度など)を聞いた時に愕然としました。

私も同じような感覚を持つからです。

果たしてそれが真正なのかどうかは、鑑定を受けた事がないので分かりません。
自己分析がどの辺りまで正しいかも、確認する術は持っていませんから。

自分の感情をもてあますことがあります。
それにブレーキをかける意味で、私は極力感情を表に出すことは避けていました。
かっこ悪いとか、そういう問題ではなく、それが私の精神的安定を図る術だったのでしょう。

人間には喜怒哀楽の感情があります。
私が本来一番持ちやすい感情が怒です。
反対に、一番持ちにくい感情が哀でしょう。

「哀」は自分を悲しむためだけの感情ではありません。
誰かのことを「悲しむ」という感情も含まれているのです。
私に一番足りないとすれば、この「哀」なのでしょう。

自分の精神的欠落を知りながらどうすることもできない苦しさをいつからか私は自覚していました。

その苦しさは、おそらく今後もずっと持っていかなければいけないものなのでしょう。







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