【復活!】ダイエットなDIARY
DiaryINDEXpastwill


2004年08月16日(月) 代表





最近暑さもひと段落。


猫もオレも体力回復である。



-------------



ずっと以前に紹介した天木直人は支持者も増え、HPが立ち上がっていた。


しごくまっとうな意見であるから、カルト化せずに、うまく市民運動となっていって欲しい。





-------------



オリンピックで、BSをふくめどのチャンネルもろくな番組やっていない。



公民館とかに集まって声援を送っている人たちは、正直言って気持ち悪い。


ワールドカップで顔に日の丸書いちゃう人々もそうである。


選手たちを批判しているわけではない。


短距離の末續選手に一年密着したテレビ番組を観た。



誤解のないように書いておくが、末續選手は個人的には好感の持てる選手である。

自分自身を理解している頭のいい人間だと思う。




さて、その番組の中で、コーチやトレーナーは選手と運命共同体だといっていた。


そして様々な専門家たち、科学的なデータと練習メニュー、スケジュール等々。



選手を作り上げるのは一種のプロジェクト・チーム化している。







もちろん選手個人の才能や努力はある。

しかし、それもさることながら、多くの人々とテクノロジーの結晶として選手の出した「記録」というものはあるのだ。


最近日本は強くなったといわれるが、それは何を意味しているのであろうか?


これは日本が、ひたすら選手の能力開発にカネ、ヒト、モノを費やすことができるようになった、ことを表しているのではないかと思う。

つまり、先進国であり、科学的・物質的に豊かになったことを表しているのだ。


中国や北朝鮮などの社会主義国や共産国は、国家自体が一種のプロジェクト・チーム化している。


オリンピックは、国家をあげた肉体改造によって人間の極限の可能性を追求している科学プロジェクトになっているのだと思う。



日本ではもっと個人化しているので国家プロジェクトではない。


だから、個人としてその努力を認め、応援し、賞賛すればいいのではないだろうか。


日本人でも、つまり国籍がたまたま日本にある人間という意味だが、外国の選手を応援してもいいのではないだろうか?


国ごとに代表を決めている限り、オリンピックはそれ自体が常に政治化されている。


常に国家をrepresentation(代表=表象)してしまうからである。





----------

すまん。

久しぶりの更新だが、笑うところはない。


とに |MAIL【ブログ版】ネット書店

My追加