【復活!】ダイエットなDIARY
DiaryINDEXpastwill


2003年03月05日(水) 欲求

今日も沖縄は雨である。





もう、慣れちゃったので6ポイントのフォント指定もしない(笑)。





タクシーで聞こえて来たラジオによると、大陸性の低気圧と太平洋性の高気圧との間に沖縄はすっぽりとはまってしまっているかららしい。


いわゆる気圧の谷間というやつで、だから雨が降り、冷たい風が流れ込んでくるのである。


こう書いていて、気圧の谷間よりも胸の谷間の方がいい!!と思わず連想してしまうあたり、オレのオヤジ度数を如実に物語っている。

いや、欲求不満さびしさだろうか。







タクシーのラジオと書いたが、ホテルの部屋ではテレビを見ないようにしている。

浦島太郎を決め込むつもりである。

日本に何が起ころうと、イラク情勢がどうなろうと、北朝鮮がどうなろうと、関係ない時間を過ごしたいがためである。







浦島といえば、面白い話があって、これは少し前にずっと調べていた。

まあ、その話は帰ってからおいおい書こうと思う。












公文書館では、マイクロリーダーを一日中見つめ、複写をとりまくった。

清算すると1万5千円だった。

一枚20円なのだが、公的機関では40円のところもあるので、沖縄は良心的である。



今回の調査費用は国から出ている。
領収書をもらっての後払いなのだが、元を正せば税金である。


昨日からずいぶんまじめに仕事をしているが、それは税金を使っているからである。

もっとも、便乗してダイビングをする予定であるが。

いや。こちらは自腹である(当たり前だ)。










さて、沖縄まできて、何を調べているかというと、こんなことは書いても面白くはないだろうが、アメリカ統治下の米国公文書である。


沖縄はこれを毎年定期的に買っており、資料は豊富である。


研究者にとっては、ある意味宝の山だ。









さびしいといえば、現在泊まっているホテルは、前島地区という、風俗街のそばにある。
40分からの本番もあるという。





しかし、いくらさびしいといっても、税金をこういうところに投入するのは気が引けるし、もともと気を使ってしまう人間なので、楽しく遊べないだろう。













欲求といえば、唐突ではあるが、実は毒吐き日記が大好きである。




お気に入りに入れている他人の日記はいつも読んでいて、こうして遠くに来ても読んでいるのであるが、がんばっているものや、勉強になるものなど様々ある中で、とりわけ毒を吐いていたり、愚痴っていたり、怒っている日記が大好きなのである。






思うに、毒を吐いている日記は、日常あるいはリアルワールドでは言いたくても言えないことを書いているからだと思う。


それは人前では言えない、あるいは隠すべきだと思っていることだからである。


それを、恥じながらも書いてしまうあたりが微妙にそそるのである(笑)。








世の中には盗撮してまでトイレや風呂をのぞこうとがんばっている人がいるが、根っこは同じなのかもしれない。

隠されているものは見たいのである。


だから、ポルノ・グラフィやビデオにモザイクやぼかしを入れるのは本来間違っている。

隠せば隠すほど、見たくなるというのが人情であるからだ。







江戸時代の天皇は人々から隠されていた。

隠されていたがゆえに武士の権力を正当化する権威を持ち得たのである。

徳川家康にしても「征夷大将軍」であり、日本の王ではなかったのである。








この隠されているという状態をドイツ語では「アインゲカプセルト」という。

「箱入り」の状態である。




隠されているがために、それを見ることのできる人(あるいは見ることのできる状態)と、見ることのできない人(あるいは状態)が成立する。


いわゆる権力を持つ者と持たざる者が発生するのである。









だからといって、皆、性器をむきだしにして街を歩けといっているのではない。


しかし、少なくともポルノなどを解禁することにより、多くの性犯罪は防げるのではないかと思う。


隠されずに見てみると、男も女も、別段どうってこともないものを持っているだけである。



すぐにみんな飽きてしまうだろう。










もっとも、そうすると普通のセックスには飽き足らなくなり、すぐにみんなアブノーマルな方向に進んでしまうのか?


すると種族保存の本能から、みな性器を隠しているのであろうか?

一種のリミッターとして。








いやいや、みんながみんなアブノーマルな方向に進めば、それはもうノーマルであってアブノーマルではない。

かえって普通のセックスがアブノーマルなことになるかもしれない。







オリオン・ビールを飲みながら書いているのでなんだがよくわからなくなってきたが、要するに、毒吐き日記には妙に隠微な魅力があるといいたいのだった。







それにしては悩みを綴った日記に魅力を感じないのはどういうわけであろう。



これはおそらく、隠しているものを明らかにしてしまう、あるいは王様の耳はロバの耳と同じように、言ってはいけないことを言ってしまう解放感やカタルシスが感じられないからだろう。











そうか、日記は解放感なのか?!





いや、少なくとも、オレが求めているのは解放感なのだろうか。






あるいは、出してはいけないものをついに出してしまうという、排泄の姿を見たいという欲求なのだろうか。





するとやはり先に書いたようにトイレの盗撮を見たいのと変わらないのか。













那覇の前島地区にはそんなプレイをやってくれるお店があるだろうか(笑)。










しかし、沖縄まできて、人のおしっこを見て帰るというわけにはいかないしな。








とに |MAIL【ブログ版】ネット書店

My追加