【復活!】ダイエットなDIARY
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2003年02月27日(木) 存在

ちょーーーーーーーーーーーーーいそがしいわよ!!







通常通り、昨日は生田に泊まりで仕事に行ってきたわよ!




そして飛んでるわよ!!


花粉が飛びまくってるわよ!



目がかゆいったらあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーりゃしない!!




そして、やっと帰ってきたのだけれど、どうしてこんな時にかぎって講演のテープおこしもしなくちゃならないのよ!

しかも英語なのよ。英語!

そんな早口でしゃべるんじゃないわよ!!

あと二日でしあげなくちゃならないなんて、一体どうしろっていうの?!!





そうよ。沖縄行きの用意なんてぜんぜんしてないわよ!

ダイビングの教材ビデオなんてまだ届かないわよ!

「しっかり予習してきてくださいね(~。~)」なんて変な顔文字使ってんじゃないわよ!

しかも、スタッフ紹介を見てみたらアンタ男じゃないの!!

どういうつもりよ!!










・・・・・・やばい。なんか癖になってしまいそうなので、オカマ調はやめよう。







と、このような忙しい日々を送っているのだが、本も読んでいるところがえらい。


ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』(湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫)を読み出した。


フランスの現代哲学の人である。

フーコーが「もっとも重要な思想家のひとり」と賛辞を送った、哲学者である。



中にとてもすてきな表現があったので紹介しよう。




それは「動物は世界の内に水の中に水があるように存在している」という表現である。

























人間は、言語を獲得したことによって抽象化された観念の世界に生きるようになった。


神や悪や善といった観念である。


例えば右とか左とかいうのも実体の本質は無い。

向き合った相手にとっての左はオレの右であるし、オレの左は相手にとっては右である。




言語を獲得した人間は、自然を対象化し、自然と対立的に向き合うようになった。

簡単に言えば、自然と切り離した自己の存在を意識して生きるようになったのである。




だが、動物の場合はちがう。


彼らは世界の一部であり続けている。


彼らは世界の内に、ただ「水の中に水があるように」存在しているだけである。





動物には、たとえ喜怒哀楽の感情があるように見えようとも、あるいは実際にそういう感情があったとしても、それはそうした感情が自然に現れ、また消えてゆくにまかせているだけである。


それを抽象化して思い悩むことも無い。


木が木であるように、鳥は鳥であるし、猫は猫なのである。


その意味で自然と繋がっている。



そこから抽出した、抽象的な観念に呪われることは、動物たちにはありえないのである。





その意味で彼らは世界に属している。




なかなか含蓄の深い、そして詩的な言葉ではないか。






もっとも、これは現時点でのオレの理解にしか過ぎない。

この言葉が本当はどういう意味であるのかを、沖縄の海に潜って確かめてみようと思う。

水の中で。



初体験なのでちょっとドキドキである(笑)。



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