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昭和60年のフットボール - シンガポール - 2004年07月11日(日)

つい先日、某氏から、とても楽しい資料を頂きました。

それは、メキシコW杯予選・シンガポール−日本戦のレビュー
by シンガポールメディア、というシロモノであります。


80年代(Jリーグ以前)のサッカーに憧れを持っていて、しかも
それがシンガポール発ってのは、僕にとって涙が出るほど
嬉シイもんであります。


というわけで、以下にご紹介。

(原文から、段落や多少句読点を追加しています。
 また、日本代表のメンバーは、フルネームに当方でしました。)



■プロローグ

時は1985年。


ちょうど、今TVで解説者やJの監督さんたちが、選手として
現役だったその時代。


日本サッカー協会は前年のロス五輪予選で4戦全敗という結果
をうけ、日本代表の再建に乗りだしていました。

 ロス五輪予選の結果

 1984/04/15 ● 2 - 5 タイ代表(かの有名なピヤポン・ショック)
 1984/04/18 ● 1 - 2 マレーシア代表
 1984/04/21 ● 1 - 2 イラク代表
 1984/04/26 ● 1 - 2 カタール代表

 (メンツと点差を考えると、皮肉にも昔の日本代表は、
  今のシンガポール代表くらいのイメージだなァ・・・)


そして、1985年には、メキシコW杯の予選が始まりました。

当時の形式は、1次予選・2次予選、そして最終予選という形でしたが、
今と大きく違うのは、東アジア地区と西アジアで完全に出場権が分かれ
ており、東西が予選で出会うことがなかったという点があげられます。


日本の1次予選はグループDに入り、同組のチームは日本以外に
北朝鮮とシンガポール。


日本の第1戦はアウェイ・シンガポール戦でした。

しかし、その場所は、先述したロス五輪で4連敗したスタジアム、
シンガポール・ナショナルスタジアムだったのです。
(この前日本代表が闘ったスタジアムではないです)

ココ↓




はたして結果は・・・


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■元気なしシンガポール

1984/02/24 ジョー・ドライ記者 ストレイト・タイムス


シンガポールチームには旧正月を祝う気分など、まったくなくなって
しまっただろう。W杯予選で1−3で敗れてしまったのだ。

更衣室から何も言わずに去ろうとしたフセイン・アルジュード監督など
この半年間見ることはできなかった。よき敗者でありえなかったと
いうより、チームの出来に失望してしまったのだろう。

重い口を開くとフセインはこう語った。


 「どうしようもないよ。うちの選手のプレーぶりには全く失望だ。
  このまま更衣室にいたら、そのうち俺は怒り出してしまうだろう」


日本の森孝慈監督はシンガポールをなぐさめてくれた。


 「前半は良かったじゃないか。守備のミスはあったけれど、
  北朝鮮戦よりよかったよ」


しかし、ほんとのところ、シンガポールは力を発揮できなかったと
いうべきだろう。とくにDFが問題だった。キャプテンのアウヨン・
パク・クアンやマレク・アワブ、ハシム・ホスニ、キーパーのデビット・
リーには、いつもの元気がなかった。


10分にデビットが木村のカーブしてきたCKを止められなかった。
あの時に、シンガポールは困難な状況に陥ったことがはっきりした。

後半2分にアウヨンが木村に対し反則を犯してしまった。
そのFKから日本は2点目をとったのだ。

さらに後半11分にもデビッドは居眠りをしていたとしか思えないような
ミスを犯した。FKからのクロスを止め損なって、A・R・J・マニのマークを
ジャンプして振り切った原に3点目を許してしまったのだ。


シンガポールの中盤の守備も、全く組織ができていなかった。もっとも、
日本が中盤を制してしまったのは日本の出来が良かったからに違いない。


日本チームのスターはもちろん木村だ。3人のDFを抜き去ってシュート
した場面もあった。

10分、その木村のCKで日本はゴールラッシュの口火を切ったのだが、
開始早々に内山のオーバーヘッドがバーをかすめたのだ。

前半終了5分前に、それでもシンガポールは同点に追いついた。
ラザリ・アサドのクロスを都並がファンブルしたおかげで、ヤヒヤ・マドン
がネットに突き刺した。


しかしその喜びも続かず、47分、56分に柱谷、原に決められた後は、
シンガポールはただ日本に追加点を許さないようにするのが精一杯だった。



〔日本〕
松井清隆、松木安太郎、石神良訓、加藤久、都並敏史、宮内聡、田中孝司
(注、田中は間違い、本当は西村昭宏)、内山篤、木村和司、原博実、柱谷幸一

〔シンガポール〕
デビッド・リー、A・R・J・マニ、アウヨン・パク・クアン、ノハリス・シャフイク、
スディアト・ダリ、ハシム・ホスニ(S・ラム)、マレク・アワブ、ラザリ・アサド、
ヤヒヤ・マドン、D・トキジャン、タイ・ペン・キー

〔レフェリー〕
A・ストハヨ(インドネシア)

〔マン・オブ・ザ・マッチ〕
木村(日本)



■日没するところのシンガポール

1984/02/24 ジェフリー・ロー記者 ストレイト・タイムス


シンガポールは現実に連れ戻されたようだ。

日出ずる国、日本の太陽の熱と光線の前でどう対処するか、
学び終えたなどと錯覚したおかげで、大やけどを負ったのだ。


それがマレーシア・カップ戦と国際試合の差だ。


田舎風(※カンポン)フットボールのマレーシア・カップと違って、
国際試合というのは、技術、体力、知性が備わっていなくては
どうにもならないのだ。

(※カンポンとは半農半漁の海辺、川辺にあるマレー集落のこと)


もし昨夜の試合でシンガポールが勝てたとしても、シンガポールが
国際レベルに近づいたとはいえない。日本が負けたなら、それは
日本が5年前香港でのワールドカップ予選でスタートを切り、昨年4月、
当地の※カランでつまずいたひとつの時代が終わったことを示すに
すぎなかった。

(※ナショナルスタジアムのことを土地の名前からカランと呼ぶ)


しかし、日本チームは彼らが自ら言うように、学習ぶりの速さを示した。
旧正月以来初めて涼しくなった昨夜、日本チームは去年のあのスピードと
ロングパスに頼るやり方をやめ、もっと組織されたスキフルなショートパスを
使ったスタイルを披露した。


持ち前のスピードも合わせて森孝慈の日本チームは、ロス五輪予選で
惨敗した同じスタジアムで期待の高まる地元チームを一蹴して悪夢を
一掃した。


これに対して、過去4週間にわたるマレーシア・カップでの好調ぶりと
北朝鮮との1対1の引き分けという夢からさめたシンガポールは、
経験のないまま国際舞台に放りこまれた子供のように若さを露呈して
しまった。


たとえば、木村和司と原博実の両ウイングでのスピードにフルバックの
A・R・J・マニやスディアット・ダリがついていけないことがはっきりしていた
のに、なぜ誰もカバーに行かなかったのか。


さらに悪いことに、こうした状況で重要な任務をもつセンターバックの
アウヨン・パク・クアンはいつもの出来からはほど遠かった。そして
日本の動きについていけなくなったアウヨンは汚いプレーでその
名声を汚してしまった。


その結果、この勇敢なキャプテンは警告を受け、日本の2点目の
きっかけとなるFKを与えてしまった。


アウヨンと同じように大失敗をしたのがキーパーのデビッド・リーである。
CKを直接入れられたのは、デビッドのキーパー生活で初めてのことだ。
これでデビッドのゲームの読みの悪さが出てしまい、その結果3点目を
与えることになった。


シンガポールの最も有名な選手でさえ、アジアのトップレベルにすら
とどいていないことがはっきりした。マレク・アワブやハシム・ホスニは
簡単にパスをカットされてしまった。

むしろ若手のヤヒヤ・マドンのほうが1点をとって活躍した。しかし、その
ヤヒヤも敵がいないところで無駄なフェイントをかけるなど若さを露呈した。


最後に付言したいのは、シンガポールには国際試合に必要な風格という
ものがなかったということだ。

まず※マレーシア・カップに勝つことだ。


だがその前に、ここ1週間の日本を軽くみたような言動を慎み、外国の
代表チームというものに――ブルネイも含めて――もっと敬意をもって
接すべきである。 

※ マレーシア・カップとはマレーシア各州の選抜チームによる
   マレーシアの全国選手権のこと。シンガポール、ブルネイは
   政治的にも独立国だが、代表チームがこのマレーシア・カップに
   出場している。

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最後の3行の、日本を軽く見た・・・の下りは、たいそう興味があります。
どーいう評価だったんだろう??


一応、シンガポールは84年にアジアカップを開催しておりまして、
強豪との経験もあり、それに輪をかけてロス五輪のヒドイ日本代表を
見てきたのもあると思うのですが、当時にしてもそれほど強豪国では
なかった気が・・・。


それと、わざわざ”ブルネイも含めて”って記載しているトコをみると、
シンガポールから見たら、

ブルネイと日本は同じ格下だろ?

なイメージが当時あったのかもしれません。


ま、どっちにしても「軽くみたような言動を慎み」ってのは、今の日本
にも言える事なので、ちゃんと対戦国はリスペクトして欲しいモンで
あります。



あ、あと

>日本チームは去年のあのスピードとロングパスに頼るやり方

ってのは、ちょっと驚きであります。
今だと、あんまりイメージ出ないですが。


その後、日本代表は、北朝鮮の8万人収容の人工芝のスタジアムと
いう、とてつもなく生で見てみたいスタジアムで会心の引き分けを演じ、
結局最終予選まで進出するのであります。



が、やっぱり最後はアジアの虎、韓国に蹴っ飛ばされてしまうので
ありました。うぅぅぅ。

ちなみに日本ホーム戦では、シンガポールは0−5で大敗しました。
こっちもうぅぅぅ。。


というわけで、繰り返しになりますが、某氏さんには、この場を借りて
お礼を言いたいと思います。

ありがとうございました。


:今回の参考資料
「日本サッカー史・代表編」 後藤健生著 双葉社 2002


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