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農民の血、脈々と - タイ - 2003年03月02日(日)

ちょっと2002年の春頃の記事なので、それほど
新しくはないのですが、ちょっとづつ訳していたものを
置き土産に載せておきます。


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■BECテロサーサナの新たなるゴール
BEC Tero Sasana's new goal


GSMタイリーグチャンピオン、BECテロサーサナ
(BEC Tero Sasana)は、AFCチャンピオンズリーグで
タイ代表のチームとして出場します。

この大会は、アジアにおけるクラブ・サッカー・シーンを革新に導く
大会を目指しています。

"Football Asia"のNick McCormackが、前回のアジアクラブ選手権で
印象深かったチーム、BECテロサーサナを取材しました。




タイのここ数年のアジアにおける大会での躍進は、最近GSM
タイリーグで優勝したBECテロサーサナが、タイ国内で強豪の
名に相応しい成績を残し始めた時期と一致するかもしれません。


現タイ代表監督のピーター・ウィズが98年のアジア大会に就任して
以来、タイはタイガーカップ2000決勝戦でインドネシアを4−1
で破り、その後のアジアカップやW杯アジア地区最終予選での活躍に、
多くの人が賞賛しました。



同じ頃、BECテロサーサナの成績を見ると98年はタイリーグで
の成績は3位。99年は得失点差わずか1でタイトルを逃した後、
2000年、01/02シーズンは連続して優勝しました。


ファイアー・ドラゴン軍団として知られたこのバンコクのチームは、
メンバーのほとんどが、最低1度はタイ代表のユニフォームに袖を
通した選手で構成されていることが誇りです。

このチームの選手のうち8人は、タイの歴史的偉業である、W杯
アジア地区最終予選に初出場した代表選手なのです。


代表でもお馴染みのメンバーには、Anurak Srikerd、23歳の
Nirut Surasiang、そしてベテランのVoravudh Srimakaが居ます。

Dusit ChalermsaenはベトナムのHoang Anh Gialaiへ移籍する
こととなり、テロサーサナからは去ってしまいました。

しかしGKのPhansa Meesattham、MFのTherdsak Chaiman、
DFのThanongsak Pajakkatも、最終予選を戦ったメンバーです。

他にDFのWitthaya Nabthongも一時タイ代表のメンバーでした。




BECテロサーサナのWorawi Makudi会長は、国内のトップ
クラブに代表選手が多く在籍しているのは当然である、
という自論がある一方で、彼のクラブは選手の育成を怠って
きたことも認めています。


「クラブチームが良い成績を収めれば、そのチームの多くの選手が
 代表入りするのは、どの国であろうととても一般的なことです。

 ですが、われわれはライバルチームから多くの一流選手達を
 我々のチームに移籍させたことを見逃さないで欲しいのです。

 彼らの内の何人かは、我々のチームに合流する前に、すでに
 タイ代表でプレイした選手です。  
 
 代表チームの多くの選手が、わがクラブの選手であるという
 ことは、発展し、強くなっていくと言う点で、常に良い結果を
 もたらします。 
  
 この結果は、チーム、選手、そしてタイにとっても良いこと
 なのです。」



FAT(タイサッカー協会)の事務局長でもあるWorawi氏は、戸棚で輝く
それぞれのトロフィーに対して、クラブサッカーシーンの面からも、代表
の面からも、それぞれ満足する理由があるのです。



彼がクラブチームを設立した経緯は、次のようなものです。


「このチームは、私の家族が行っていたサーサナ学園の
 サッカーチームが母体だったんです。

 我々は93年、リーグに参戦しました。とはいっても、
 この参戦はチーム設立から数年ほどしか経って
 いませんでした。」


創立以来、チームはトップレベルへと急速な発展を遂げ、
その結果として、クラブの創立者自身の野望の早期実現が、
現実味を帯びてきたのです。



「私たちの目標は、出来る限り常に最高のレベルに
 たどり着き、そしてタイのチャンピオンになること
 でした。」


1993年、タイ4部リーグから参戦して以来、
3シーズンでチームは1部リーグへと昇格しました。


1996年、彼らにとってトップリーグ参入最初の年。

サーサナはテロ・エンターネイメント・カンパニーと提携
しました。この会社はその2年後、チャンネル3の親会社、
バンコク・エンターテイメント・カンパニー(BEC)の
傘下となった会社です。


この企業グループは、Worawi氏のチームがBECテロサーサナ
の名前を獲得するのを支援しました。

しかしチームにとってより重要なのは、エンターテイメント業種
では大手の企業が彼らの資金の後ろ盾となっており、それがここ
最近のチームの成功の大きな要因であるという点です。




しかしながら、これがサッカーと大企業での"結婚"の肯定的な面を
表わしている一方で、BECテロサーサナのかつてののライバル、
タイ・ファーマーズ・バンクに起こった運命は、例え強豪チームで
あったとしても、株価が下落した場合には何があってもおかしくない、
という警告を示しました。


タイ・ファーマーズ・バンクのスポンサーであるタイ農民銀行は、
1997年のアジア経済危機の影響が直撃し、外国人投資家達に
よって、株49%を購入される事態となりました。

新しいオーナーにとってサッカーは、企業にとって高いプライ
オリティーではなく、その後進められた組織のリストラに呑まれる
こととなったのです。




タイ・ファーマーズ・バンクはタイのサッカー界で10年以上君臨
し続け、アジアクラブ選手権初の連続優勝(93年・94年)という
偉業を成し遂げたチームです。

しかし2000年を最後に、チームは消滅しました。




ウォラウット(Voravudh)は、タイガーカップ2002決勝戦で
ハット・トリックを成し遂げたヒーローですが、前所属はアジアを
制したタイ・ファーマーズバンクでした。彼は現在、BECテロ
サーサナの選手であり、2つのチームどちらもプレイ経験があります。


「僕がタイ・ファーマーズバンクにいたときは、毎日が成功している
 感じだったんだよ。だから、よけい奮起したな。」


ウォラウットは、タイリーグ01/02ではトップスコアラーでした。
チームの消滅は、彼を失望させましたが、このベテラン・ストライカー
は今までどおりの明るい面を覗かせます。


「タイ・ファーマーズ・バンクの消滅は悲しい出来事だったよ。
 でも、その消滅のおかげで、BECテロサーサナは優勝したんだよね。」

彼は苦笑いでこう答えました。

もし仮に、タイ・ファーマーズ・バンクが参加していたら、BEC
テロサーサナの連続優勝があったかどうかは、誰にもわかりません。

しかし、現実的に見れば、1000万バーツ以上の大金を運営費に
使うことが、BECテロサーサナの強力なライバルたるチームに
なりえるのです。


「タイリーグで成功するには、予算が大きく占める。
 これは真実なんだ。」

ウォラウットは続けます。

「でも、お金が全てってわけじゃない。殆んどのチームには、
 全ての試合に勝ちたいと思っている、とても競争心の高い
 選手たちがいるんだ。」

BECテロサーサナは現在、選手を売却するよりも、そんな
闘争心あふれる選手達を買う余裕のある、うらやましい状況に
あるのです。



しかしながら、最近の国内リーグでの成功、それにタイ代表として
プレイする選手達は、品評会さながらの様子になっています。

現在、BECテロサーサナは海外のクラブへ選手を"輸出"する
潜在的な供給源となっているのです。


多くの関係者が、タイの良い選手達がシンガポールリーグへ流出
してしまうことは、タイリーグにとって好ましいことではないと
考えています。

しかしシンガポールのスカウトたちは、現在もバンコクに対して
情報の網を張っています。


ウォラウットは、次のように言います。

「もしある選手がシンガポールに行ったら、その選手の代わり
 に、他の選手がそのポジションに就く。」

「これはつまり、特に若い選手にとってチャンスとなるんだ。
 彼が良いプレイをすれば、代表選手候補が増え、代表の層は
 厚くなる。」



より層の厚さが、テロサーサナにとって不可欠なものでしょう。

BECテロサーサナの会長は、タイでの成功をアジアでも
願っています。

クラブの財政的な支援、そして意欲はすでに重要な経験として
チームに与えられました。



97年、タイ・プレミアリーグで5位だったチームは、アジア
クラブ選手権98/99に出場しました。

(*上位チームの棄権が相次いだ為)

彼らのアジア・デビュー戦は、2回戦において中国の大連に
敗れることによって、上位への道が途絶えました。

その後、チームはアジアカップウィナーズカップ00/01に
の準々決勝に進出。前回優勝チームの清水エスパルスと対戦。
ホームでは2−2の引き分けでしたが、アウェイでは3−1で
敗れました。

日本の鹿島アントラーズには、アジアクラブ選手権01/02で
準決勝進出を阻止されました。



しかし、Worawi氏は新たなAFCチャンピオンズリーグへの挑戦
するべき時だと考えています。


「チームがアジアの強豪チームのうちの1つになって欲しい。」

「AFCの2つのクラブ大会を合併する決定を、私は支持し、
 ベストのチームをAFCチャンピオンズリーグに送るつもりだ」

「私たちは、BECテロサーサナが、タイに良い結果をももたら
 すような、アジアを代表するチームになって欲しいと思っている。」

Football Asia 多分2002年4月号
↑もう、記事はなくなってますが・・

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タイ・ファーマーズ・バンク・・。
チームの消滅は悲しいですな。

んでも、テロサーサナはいつも日本のチームに
阻まれているんだな。今回はバンコク要塞だから、
どうなるか読めん。


ちゅーわけで、遠くバンコク・大連が、アジアのバカで
燃えることを祈りつつ、このへんで。



あと、この記事結構訳すのが難しかったので、
間違いもある可能性大です。



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