歓喜のアジア:4分21秒 - 2001年01月17日(水) ツーワケで、ちょっとインターネットから離れて、 今日は久々に紙媒体から。 サッカーマガジン1月31日号-賀川浩氏のコラムより。 そんで、久々に要約。 ---------- 戦争を仕掛けた側として、しばらく国際大会への出場 を許されなかった日本のスポーツ界。 しかし、復帰のチャンスが訪れたのは、1951年3月、 インド・ニューデリーで行われた第1回アジア競技 大会。 大戦前、日本・フィリピン・中華民国で行われていた 極東選手権と、1934年に始まった西アジア競技大会を 1つにしようというインドの体育関係者の提唱を、” 偉大な”ネール首相がバックアップ。 アジアを1つに結び、植民地支配を脱した各国の進歩 旗印に「エバー・オンワード」をモットーにした、エイ ジアン・ゲームス(Asian Games)と名づける事となる。 (中略) 試合は、韓国・中国が内戦だった為、6カ国のノック アウトシステム。インド・イラン・アフガニスタン・ 日本・インドネシア・ビルマが参加し、インドが優勝 した。 代表選手達の話によると、インド・イラン・日本が互 角。インドはドリブル等のフットワーク、イランは体 力、日本は組織プレーとハッキリとしたカラーを持っ ていた。 (以下省略) :My Football Chronicle 第2部 戦後の混乱と復興期に�Δ茲� ---------- うーむ・・。教科書に載ってたネルーに落書きしてた 気がする。スマン。つーか、社会の勉強もこう言う事 教えてくれ! インド人のドリブル・・サッパリ見当がつかないが、 確かにヒルむような気がする。今もそうなのか? アフガンのサッカーとかもナンカよくわからん。 そういや、アフガニスタンってあんまりサッカー で見ない様な・・羊の乳を飲んでいるイメージが ・・。 ハショッた記事にも面白い事が書いてあって、監督兼 Fwとか書いてあったり、戦時中に憲兵だったから海外 渡航が認められず、とかあったりして、時代を感じる ナァ。中国、韓国が内戦の為、とかも・・・。 この大会のLPが売られてたら、ジャケットはタジマハ ールと、両手を上げて走っているサッカー選手のコラ ージュなんだろうなぁ。インド優勝してるし。 で、裏ジャケがネルー首相。 1曲目は、”歓喜のアジア:4分21秒”で、全参加国 の”こんにちわ”が入っている・・。 ・・あー、やっぱ聴きたくない(笑) <今日の東南アジアサッカーの真実> ・アジア大会はアジアは1つ!な感じ。 ・昔のインドはドリブラー。 <今日のチョトメモ> ・極東選手権=極東選手権競技大会。1913年-1934年まで、10回行われたそうです。 ...
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