unsteady diary
riko



 ジョニー・ウィアーを語る

フィギュアスケート話を少し。

トリノで惚れ込んだ選手の一人、ジョニー・ウィアーについて。
彼はトリノオリンピックで「白鳥」を演じた。
どこまでも繊細で、性別を超えた素晴らしい演技だった。
伸びのあるスケーティングと、美しい所作と、類まれな音楽を表現する力と、美意識というものと。
魅了されるというのは、こういうことを言うのだと思わされた、
そういう演技だった。


その彼が、今シーズンは「男性的」なプログラムで行くと宣言したのだった。
確かにそうしたプログラムは彼の新たな魅力を発見できるものではあるのだけれども、実際に目にすると、どこか歪な印象を受けてしまった。
おおむね男性は年を重ねるほど力強くなると言われるのだろうし、それは誉め言葉でもあるのだけれど。
彼について言えば、それは自然な変化というよりも、無理をして「男性的」という枠に自分を必死にはめ込んで、足りないピースを埋めようとしている気がしてならなかった。
そして今日、漠然とした勘は、確信になった。

それは彼の試合前のフラッフ(おしゃべり)の中での言葉。

ちなみに日本でもあるけれども、特に外国では演技前に選手の紹介や意気込みなどをインタビューしたような短い映像が流れる。
これまでの彼は、少しふざけたり、軽いノリだったり、ファッションや買い物が大好きな年頃の少年っぽさが前面に出たような、きわめて素直な印象を受けるものがほとんどだった。

それなのに。
ネットで見つけた今シーズンの彼のフラッフは、見ている方がが辛くなるほど思いつめた表情で、ある種の決意を語るものだった。


以下、ネットで訳してくださった方と、自分自身のヒアリングを加えてとりあえず適当に訳したもの。




「今シーズンは、僕のイメージというものについて深く考え直しました。自分をどういう風に見せてきたか、とか。
今年は、誰の機嫌も損ねたくないんです。 」

「昨シーズンは辛いものでした。あらゆる面において、個人的にも、スケートの面でもそうだった。
シーズン中、かなりきつい思いをしあした。
僕は21歳で、その僕が言ったことや僕がしたことが、新聞に毎日取り上げられてしまって…。」

「自分に向けられた多くの否定的な言葉を目にすると、もう前に進み続けるのは…本当に難しいんです。 」

「なので、今年は何に関しても、もう少しソフトに接してみようかと思います。あまり人を怒らせたりすることのないように。
そういうことは馬鹿げていますから。
だって僕のスケートとは何の関係もないのですし。
僕は周囲の人々に自分のやっていることに敬意をはらってもらいたいし、選手として、そして人間としての「僕」という存在に敬意をはらってもらいたいんです…。 」

「僕のスケートはいつもバレエ的でエレガントで、ソフトなものだった。
でも決心したんです。「やり直し」が必要だと。
だからもっと男性的なプログラムで行こうと決めた。
今年は多分そうなる運命にあったんです。もっと硬質で攻撃的で、今年の演技は、もうこれまでのように綺麗なエレガントなものではなくしたんです。」


この言葉から伝わるものは、ただ彼の深く傷ついた気持ちと、現実との折り合いを必死につけようとする不器用さ。


彼をそうまでさせたのは何か、
素の自分を歪ませてまで、他人が望む男性らしさへ導こうとしたものとは?
断片的に知ることのできるいくつかの出来事からも、十分にうかがい知ることができる彼の傷の深さ。

その一つのエピソードとして、聞いているだけで辛い気持ちになったもの。

彼はしばらく前にある外国の有名雑誌のファッショングラビアを飾った。
私はネットでその写真を見たけれども、モデルとして、服を表現する媒体として、彼の表現力は稀有なものだと心から思ったのだけれども。
たとえば、ユニセックスな表現として、彼がハイヒールを履いてドレスを身にまとう場面があったりもしたので。
それによって彼はさまざまなバッシングを受けたという。
それもマスコミなどの不特定な相手だけでなく、彼に以前スケートを教えていた男性教師からなど、酷い形で。
ちなみにその教師は自ら大学に雑誌を持って行き、教え子の前で彼を侮蔑したのだとか…。


もう20代後半に差し掛かる私からすれば、彼がそのような表現を受け入れて大衆の目に触れる雑誌掲載という形を許したことも、「不器用」というか世慣れていないと言わざるを得ないけれども。
一方で、理不尽なバッシングを受けないためだけに、自分が悪いことをしているわけでもないのに素の自分を捻じ曲げて生きなければならないとしたらどんなに窮屈なことか、十分知っているから、彼がそうすべきだとは言えないわけで。


男性らしさ」を賛美する文化の中で、彼がどんなに「異質」な存在なのか、想像に難くないけれども、だからこそ「そのままでいいんだよ」と遠くエールを送っていたかったのだけれども。


とにもかくにも、彼が決めたこと。
もうシーズンは始まってしまった。
手酷い失敗に終わったGPシリーズカナダ大会での経験から、彼はまた何かを学んでくれていると思いたい。
正直複雑な思いは否めないけれ、どんな風に決着をつけるのか、ただ見守っていきたいとは思う。


ここまでが、2006年11月に書いたメモ。
書いてみたものの、その後のウィアーの迷走っぷりに、メモもそのまま埋もれていたのだった。
ちなみに、シーズン中復調することはなく、4連覇のかかった全米選手権も3位で終わり、どん底の中から這い上がってきたワールドでようやくある程度満足のゆく演技ができたというところ。
とにかくファンとしては、ずっとジェットコースターに乗った気分を味わった(それもさかさま超低空飛行だけの)気分のシーズンだった。


さて、2007年11月。
オリンピックシーズンから2シーズン経た今年。
彼は、散々だった昨年の演技が嘘のように、グランプリシリーズ中国杯で優勝を遂げた。
それだけでなく、自己ベストを3シーズンぶりに更新したのだった。
もちろんたった1試合だけで判断はできないけれども。
「復活」ではなく「進化」した姿がそこにはあった、と思う。
無理に歪めないで、自分の長所を生かしたプログラムに戻してはきていたけれども、以前の彼にはなかった力強さ、観客に伝えたいという強い思いが伝わってくる、凛とした演技になっていた。
昨年彼が目指した力強さというのは、確かに昇華されて彼の中に残っていた。
ふわふわと儚く漂うような演技はとても好きだったけれども、迷いのない彼の揺るがない演技には、思わず涙が出た。
頑張ったんだね、去年の苦しさがあって今があるんだね、と海の向こうに語りかけてしまったほど。


さて、長い時間をかけて彼は自分を見つめ直してより強くなった。
昨年ワールド王者@ランビエールは、トリノのメダリスト@バトルは、どこまで進化をしてくるだろう。
3人が顔を揃えるロシア大会が、怖くもあり、楽しみで仕方がない。

2007年11月19日(月)
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