unsteady diary
riko



 ぼーい・みーつ・がーる?

斉藤美奈子(2000.12)『モダンガール論―女の子には出世の道が二つある』マガジンハウス をななめに読んでみた。


ちなみに、副標題の「女の子には出世の道が二つある」っていうのは、「社長になる道」と「社長夫人になる道」の二つの選択肢のこと。
著者は「欲望史観」なるものを唱えているのだけど、それは「きれいなお洋服を着たい」でも「リッチな暮らしがしたい」でも「社会の中で認められたい」でも何でもいい、自分の欲望にそって人間は動き、歴史ができるのだという見方だそうな。

なんともシンプルな。

男の子にも出世の道が二つあるんだろうか。
「社長になる道」と、「社長の愛人になる道」と。
いや、愛人という言葉の侮蔑的な響きからして、出世じゃないよな。
でも、社長の夫はたいがい影が薄いものと決まっていて、
少なくともそれを出世とか玉の輿と思う社会の目は、ないよな。
ここらへんも、逆差別的というか、なんというか。

それにしても、「夫人」という言葉はすごい。
(ほかの)夫の人って書くんだよ。
それで、他人の妻。(所有物)



もう1冊。

北原みのり(2000.8)『フェミの嫌われ方』新水社

「フェミ」っていうのは、「フェミニズム」のことだそうな。
こんなふうに略すっていうことには別の意味があるわけで、自分がその枠の外側にいるということを表す記号なんだと思われる。
…わかるんだなあ、この感情。
いじめや差別の構造って、こういうものかもしれない。



最後に1冊。
こちらは、孫引き。


『QUEER JAPAN Vol.3 特集:魅惑のブス』勁草書房

 70年代初頭に、ウーマンリブの運動をやっていた頃、小沢遼子さんが私たちのことを「一部暴力ブス集団」って命名したの。小沢遼子さんも私たち側の人だったんだけど、あの人、諧謔趣味があるから。たしかに世間一般でウーマンリブというと、「ブス女たちが騒いでいる」という言われ方はしてたんだけど。でも、実際は大違いよ。女性解放なんかをやるのは極めつきのブスだと言われていたから、本当に自分がブスだと思ってる人は、もう恐ろしがって近づいてこなかった。だいたいビラなんかまいてても、ブスは避けて通ったもんね(笑)。本物のブスには、こんなビラを受け取ったら致命的だっていう恐さがあったんじゃない。本物のブス、真性ブスになっちゃうって。(p.124-125)


いやー、面白い。
こういう偏見まみれの本音トークは好きよ。
差別の中の差別、いわゆる2重構造が見えて。
一方ではつながろうとして、一方では排除しようとする。
だから、メビウスの輪。
騙し絵の世界。

私も、今でこそ開き直ってゼミのなかで異端を走ってるけど、
ゼミに入った当時は、大人しかった。
さっきの「フェミ」の話じゃないけど、外側にいる感覚を忘れたくはなかった。男子に思いっきり気色悪がられるのは嫌だった。
ゼミという議論の場を離れたら、「フェミニズムは真性ブス女の遠吠え」っていう枠組みに逆戻りしていたから、とりあえず性格までブスに見られないように、やらしー計算をしてた。

今でも、「素の私」は計算してる。
さりげなく、逃げようとしている。
ヒジュラや半陰陽、性同一性障害などの素材を扱いながら、部外者として足元を確保することを忘れない。
「女の腐ったような男」というなにげない表現に、片方では「女」として傷つきながら、片方ではそういう男を嫌う感情がある。
(「男の腐ったような女」という言葉がないのは、男の腐ったのが正真正銘「女」だから、だ。これじゃ侮蔑表現にもなりゃしないもんね。)



2001年12月09日(日)
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