|
|||||
|
|
|||||
|
ティム・バートン監督の映画
「ビッグ・フィッシュ」を見ました。 CMを見て「なんとなくわたしの好みっぽい」 と思っていたんですがまさにそのとおり。 父親エドの話す荒唐無稽な物語と エドと正反対に現実的な息子ウィルの物語です。 映画は、おとぎ話と現実が交互に描かれます。 前者は、かつてエドが息子に語った自らの若き日の冒険物語。 後者は、ウィルの見た死の床にある現実の父親の姿。 もうすぐ子供が生まれるジャーナリストのウィルは 父エドワードの話す荒唐無稽なおとぎ話に苛立っています。 エドの話は、聞く人を愉快で幸せな気分にさせたし ウィルも小さい頃はそんな父親が好きでしたが 大きくなるに連れ、ホラ話で人を煙に巻く 人気者の父親の本当の姿は一体なんなのか 分からなくなってしまったのです。 ウィルは思います。 「実際の現実は、おとぎ話なんかじゃない。 どうしていつも本当のことを言わないんだ? なにか隠しているのでは? それとも自分のいるここでの現実が嫌いなのだろうか?」 たとえば、エドは息子ウィルが生まれた時の話を こんな風に語ります。 「わたしは、その日川で伝説に謳われた 大きな魚(ビッグ・フィッシュ)を釣っていた。 それは、川で死んだ大泥棒の化身ともいわれる 決して誰にも釣られないと言われた特別な魚だった。 わたしは特別な餌を用意した。 それは妻との結婚指輪だった。泥棒の化身なら餌はこれだ。 するとどうだろう。ビック・フィッシュがかかってきた。 しかし同時に釣り糸が千切られてしまった。 わたしは必死で魚を捕まえて "それは僕の大切な結婚指輪だよ、返しておくれ!" と叫んで、やっとのことで取り返した。 魚はそのまま川へ帰っていった。 それがウィル、お前の生まれた日の出来事だよ」 ところが医者がウィルに語ってくれた現実は違う。 「君のお父さんはその日営業で仕事に出かけていた。 出産に立ち会いたがっていたが、予定日より一週間早かった。 あとでとても残念がっていたよ。もし間に合ったとしても その当時出産に横で立ち会うっていう習慣はなかったがね。 お産は特に大きな問題もなくすんだよ」 医者は付け加える。 「こんな変哲もない現実より、君のお父さんが 話してくれたエピソードの方がわたしはずっと好きだがね」 父の冒険の物語。 幼い頃片目の魔女に会いに行き 自分がどうやって死ぬかを予言してもらったという話。 巨人と一緒に旅をして、暗闇の森で冒険をし、 道に迷ってたどり着いた幸福の街「スペクター」の話。 時が止まるほどの運命を感じた女性との出会い。 その女性の名前を知るために、 狼男が団長をするサーカスで何年も働いた話。 運命の女性・サンドラに告白するため 4つの州の水仙を集め花畑の海を作り 大告白を敢行し、見事ゴールインした話。 戦争に召集され、妻の元に早く戻るため 大スパイ作戦に加わり世界を横断した話。 政府から戦死通知が発行されるも 絶望に沈む妻の元に 劇的に生還した感動の物語…etc.etc.。 父はどうしてこんな話を作り出したのか? おとぎ話はほんとうに実際とは違うのか? そんなウィルの疑問は、 映画が進むに連れて次第に解き明かされてゆきます。 ある時ウィルは、父が若い頃訪れて奇妙な体験をしたという 「スペクター(幻)」の街の登記簿を発見します。 ウィルはスペクターの街が現実に実在すると分かると 今度はそこに住む女性が父の愛人だったのではないかと勘ぐります。 スペクターの登記簿の家を訪れると 果たしてそこに住む女性はエドを知っており しかもエドを愛していると言うのでした。 しかし同時にこうも言いました。 「わたしには決して報われることのない愛でした。 あの人は奥さんだけを愛していました。 あの人にとって女性は、奥さんと、それ以外の女性でした。 わたしはあの人のおとぎ話の中の登場人物に過ぎません。 ですからわたしは、あの人の物語の中で 時にスペクターの町長の娘になり また時には片目の魔女にもなりました。 けれどあなたは違う。息子のあなたは 現実にあの人のそばにいられる」 ウィルが生まれた日 見事なビッグ・フィッシュを釣り上げ 結婚指輪を取り返したと言う父。 それはやはり作り話かもしれないけれど だからとって嘘といえるのか…。 父はどうしてこんな話を作り出したのか? おとぎ話はほんとうに実際とは違うのか? ウィルが家に帰ると、父は危篤でした。 病室で寝ずの番をするウィル。 するとエドは目を覚まし、息子に 「自分の死ぬ時の話をしてくれ」 とせがみます。 「でも父さん、その話はまだ聞いたことがないよ」 エドが幼い頃片目の魔女になにを予言されたのか ウィルは知らなかったのです。 「じゃあ…父さん、せめて話の出だしだけでも言ってくれないかい?」 「出だしは…この病室の中だ」 ウィルは周りの様子を気につつ どきまぎしながら、生まれて 初めておとぎ話を話し出します。 「僕が病室で目を覚ますと、父さんは起きていた。 父さんはまるで病気じゃないみたいに元気だった。 "ここを出るぞ!"と父さんは言った。 僕は父さんを車いすに乗せて病院を逃げ出した。 先生の止めるのを振り切って 母さんと僕の妻が先生を邪魔する手伝いをしてくれた。 車に乗せようと、父さんを抱き上げると 不思議なことに父さんは全然重くなかった! "川に行くぞ!"と父さんは叫んだ」 ウィルはもう夢中で話を続けました。 「川岸には父さんが冒険で出会った人たちみんなが待っていた。 これが最後だってのに、そんなの信じられないぐらい まるで何かのお祭りみたいにみんな笑顔だった それで僕は父さんを抱き上げて、みんなに見送られながら川に入った。 最後に母さんが別れの挨拶をすると 父さんは口の中から結婚指輪を取り出して "さらば!わたしの愛しい川の妖精よ"と笑って言った。 そして川に沈むと父さんは、もう父さんではなく あのビック・フィッシュになっていたんだ。 魚になった父さんは沖に向かって泳いでいった。 それが、僕の見た父さんの最後の姿だったよ…」 ウィルは泣いていました。 エドは満足げに 「そうだ…そのとおりだった」 とつぶやいて、そのまま二度と動きませんでした。 エドの葬式の日、エドを愛する様々な人たちが墓地に集います。 エドの冒険話の登場人物のモデルになった人たちでした。 本物の魔女や、巨人や狼男ではないけれど みんなどこかしら面影を備えていました。 そして、彼らはウィルが最後に父に話して聞かせた あのおとぎ話のとおり、揃って笑顔でエドを見送りました。 みんながエドのおとぎ話を愛していました。 ―――――というお話しです。 最後の病室のシーンは号泣でした。 おとぎ話の中にこそ真実がある、という事を さりげなくしみじみ物語ってくれるいい映画です。 「味気ない現実よりもつくり話にした方がよっぽど素敵」 なんて言うと、まるで現実逃避みたいにも聞こえるけど 確かにファンタジーには現実逃避な部分もあると思う。 この間見た「ピーターパン」も、ピーターパンという 大人になることから逃げている男の子が主人公の物語です。 でも、だからといってファンタジーが 否定的に捉えられることはないと思う。 現実とファンタジーは表裏一体で ファンタジーは別の視点で見た現実でもあるのだから。 つまりは、別の世界へ行き 新しい視点で物事を捉えて 命の洗濯をしたりすることが 人生をより豊かに生きる糧なんだろうと思います。 |
|||||