ドビュッシーで朝

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2006年12月06日(水) 序章

序章
私はカフェが好きです。一人のとき、二人のとき、大勢のとき、どんな日でも誰とでも訪れる機会があり、チャンスは逃さずに常にカフェへ足を運びたいと思っています。目的は毎回異なります。一人のときは一人で過ごすゆったりとした時間を、二人のときは二人だけの話を交わす空間を、大勢のときは大勢でわいわいとする楽しいおしゃべりを求めています。私だけではありません。カフェを訪れる他の多くの人々もやはり同じような目的を持ってそこに訪れています。目的がなく訪れることも目的の一つであると思います。時間や空間という普通お金で買えないものを欲することは常であり、目的とは呼ばないのです。そしてそれらを買うことができるのが唯一、カフェです。一杯のコーヒーを買えば自然とそれは付いてきます。(たまに、それらに加えてお茶菓子やお水まで付いていますので大変お得です。)そこで得た時間と空間の中で、人が考えを巡らせ、会話をし、そこでは常に考えたことや、話したことの意味が生まれています。何でもない意味ばかりだという人もいるでしょう。しかし、それは今だれにも気づかれていないだけで、いずれそれの持つ大変興味深い意味が表れてくれるのだとしたら…。カフェでボゥっとしている人をただの暇人だと思っていたらバチが当たるでしょう。延々とおしゃべりをし続けるご婦人たちをうるさいと邪険に扱ったらいつか報いが来るでしょう。カフェはその存在がヨーロッパ社会に定着するようになった16世紀の終わり頃から、人々の考えや会話が絶えず交錯し、もともと日常的であったそれらから、特別な意味を持ち、いずれ「文化」と呼ばれるようになるものを生み出してきたということです。そこでボゥっとしていた人は後々、その考えを飯に替え、会話を本に替え、名誉と財産を得ていたというのです。とくに19世紀末、ヨーロッパの文化の多くは、カフェから生まれたというではありませんか。文化を生み出した人はもちろん、ウィーンにいました。夜は自宅で眠りました。それでも一番長い昼の時間の多くを過ごし、創作活動を行った場所は、カフェ、カフェなのです!なぜカフェでなくてはいけなかったのか。具体的にどのような文化が生まれたのか。そもそもTEEではなく、KAFFEEだったのか。興味の扉をいざ開かんとしたいと思います。


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