日記++スキが何か解るまで。


2005年03月06日(日) 晴天

あの人は私にやきもちを焼かせたいのだろうか。あの人は私を傷つけたいのだろうか。昨日の夜電話で言われた一言。
「合格祈願にお参りに行ってきた」
きちんと言えば
「(あの人の好きな人)が国家試験に受かるように」
が科白の前につく。それを何で、私に言う必要があるのだろうか…。多分やきもちを焼かせたいのでもなく、傷つけたいのでもなく、私に『嫌われたい』のだと思う。早く諦めるようにという、気持ちの表れなのだろう。勝手な推測だけど。すべて裏目に出ていることも知らないで…。
こんなことを言われても、あの人の体が心配で(インフルエンザっぽいらしい)大丈夫?と心に思わずにはいられない。心が苦しい。




癒える事の無い傷跡がズキズキと痛む。
あなたと出会って初めて退いた痛み。
まるで、ゆっくりと効く麻酔のように。

なお残る傷跡にナイフが突き立てられた。
それでも足りず深く深く押し込められたヤイバ。
抜かれることのないソレは永遠に私を侵す。
何時か私が果てるまで。




相談できない病。<他人と私>
私が初めて人と会った時、初めに考えるのは『仲良くなれるかな?』と意外と普通。でも、ソレは例えば皆が皆知り合いではなくてまったく新しい環境の場合。高校や大学一年の春とかね。

そんな状況ではない場合(高校2,3年の春とか中学とか)は、『敵か味方かどっちだろう』だ。良くないことだとわかっていても、そう思わずにはいられない。私にとって他人とは、敵と、どうでもいいその他大勢と、ほんの一握りの味方で構成されている。敵というのはつまり、私に対して理不尽な理由でイジメ的な何かを行う人達等である。味方というのはつまり、私を信頼してくれる人である。彼らの信頼を裏切るわけには行かない。後はどうでもいい。でも、どうでもいいからといって蔑ろにしていては、テキと対立した際不利になる。だから、嫌われない努力だけはしなくてはならない。

今現在において、味方と呼べる人は3,4人だろうか。敵は今のところ居ない。後はみんなどうでもいい。毎日を楽しく過ごせるのなら。

学生生活をもう14年やっているが、そのうち9年間は確実に敵と呼べる人たちがいた。それはおそらく、私の生まれ育った地域の気質のせいだと思う。基本的にイジメが多いのだ。小中学校では各クラスに一人はイジメられっ子がいたし、軽いイジメはクラスの半数が受けていたように思う。私も小学校1,2年のころ多分軽いイジメに会っていた。3年生では友達をあまり作らず、一度はキレたことさえあった。気が強くなければやって行けないと判断した私は、3年生の後半には、馬鹿と言われようが、机をけとばされ様が、男子に喧嘩を売られようが、動じないようになっていた。所謂、『生意気なヤツ』になった私がイジメのターゲットになるのは、すぐに予想できるだろう。でも、年の後半になると大抵のイジメはやんだ。イジメられても動じず、さくさくと『倍返し』をする私を対称にするのは分に会わなかったのだろう。

そんな感じで、小中を過ごした。高校でイジメにあうことはなかった。相変わらずクラス内にイジメはあったので、気を張って過ごさない日はなかった。

まぁ、こんなわけで、敵・味方・どうでもいい、にわける私となったわけだ。『人を信用しない』と言う信念も『倍返し』という考えとともに生まれたように思う。何時裏切るか…と疑って掛かっているようでは信じることができないのも当たり前なのかもしれない。

何時裏切るかわからない人に、弱みを見せるわけには行かない。ばらされて困ることは言わない。悪口もなるべく言わない(キライな人はキライというが、それは私の認識であって悪口ではない)。人前で泣かない(これが悪化?して、一人でも泣けなくなった)。特別な思い入れを持ったナニカ(物・人)を作らない。その結果、相談と言う行動は私の中で禁止された。

信じて、自分が傷つくことに恐れている。非常に自分本位で子供な発想だ。良いことではない、と知っている。誰かに頼って相談できる人を見ると尊敬する。羨ましいと思う。でも、それだけで。私の心は動こうとしない。ただ、憤りだけが渦巻いていく。それを解消するためにサイトが作られたと言っていいかも知れない。信じたい気持ちとダメだという理性の葛藤が文字となって綴られていく。気取られないように。虚言をおり混ぜて。

これがこの前までの私。じゃあ、今は? と思うが、まだ整理がつかない。時がたって、混乱が止んだら、冷静に見つめられたら分かるかもしれないけど。ま、どうしようもなくなったら、混乱のまま書いてみるのも良いかな。


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翡夕 / 手紙 / 『++dimsum』

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