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 クリスマス・カロル/チャールズ・ディケンズ

カバーより
ケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクルージ老人は、クリスマス・イブの夜、相棒だった老マーレイの亡霊と対面し、翌日からは彼の予言どおりに第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家を訪問する。炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人や、自分の将来の姿を見せられて、さすがのスクルージも心を入れかえた・・・。文豪が贈る愛と感動のクリスマス・プレゼント。


何度か読んでいるので、前にも感想を書いていたような気がしたが、みつからなかったということは、感想は一度も書いていなかったのだろうか。

子どもの頃に初めて読んだときには、幽霊が出てくるので、とても怖い話だと思っており、ディケンズというのは、怖い話を書く人なのだなどという先入観を持ってしまっていた。大人になって読み返してみると、なんだ、いい話だったんだ!という感じで、印象が全く違った。

しかし、何度か読んでいるうちに、スクルージが自分の死ぬ場面で、誰一人悲しんでくれないどころか、そばには誰もおらず、これ幸いと物を盗んでいくものや、生前の行いに言及して、これが当然の仕打ちであるとばかりに話すものなどを見て愕然とし、改心するというところは、やはり人間は、自分の死において、もっとも孤独を感じるのだなと思った。

誰だって、当然死ぬときは一人なのだし、どんな状況で死んでいっても、死んだら何も感じないわけだが、実際(例え夢でも)その場面を目の当たりにすると、どんな悪党でも改心するのだろう。

そこに至るまでに、幽霊のおかげで、氷のようなスクルージの心も徐々に溶け出していたのだろうとは思うが、結局は自分の死に目という、あとで悔やんでも悔やみきれない場面に遭遇し、因果応報のようなことを感じたに違いない。

この話は、常に優しい心を持って、周囲の人々には暖かい気持ちで接しましょうという教訓のようにも見える。また、それだけ感じればよいとも思えるのだが、今回読んでみて、どうもそれだけではないような気がした。自分の死に目があんなに孤独では何ともいたたまれないという、結局は人間のエゴを描いているようにも思える。

自分が死んだ時に、あんな目にあうのはひどく悲しいし、絶対にごめんだと思うからこそ、周囲に優しくしようと思えるのだろう。そして、死んでから、自分の罪の重さを償わなければならないという恐怖。それもまたエゴであると思う。

けれども普段の生活では、そんなことでさえもついつい忘れがちである。最終的に自分のためではあっても、人に優しくすることは良いことであるから、この本を毎年クリスマスに読んで、忘れている恐怖を取り戻し、再び心を入れ替えて、良い人になるよう努力しようと思えればいいのだと思う。

2004年12月23日(木)
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