読書の日記 --- READING DIARY
 ⇒読書日記BLOGへ
  schazzie @ SCHAZZIE CLUB

■■■
■■
■ The Autobiography of Santa Claus/Jeff Guinn

サンタクロースの生涯が、歴史的事実とからませて描かれている。自伝とあるように、語り手はサンタクロース自身。

まずサンタクロースは、西暦280年にリシアという国のパタラという町で生まれた。キリストに遅れること約3世紀である。9歳の時に相次いで両親が亡くなり、フィリップという神父を心の頼りに生きた。両親は裕福だったようで、残された財産で十分暮らしていけたようだ。

さて最初のエピソードは、クリスマスに靴下の中にプレゼントを入れるようになった、そもそもの出来事。知り合いの貧しい三姉妹が、お金がないために結婚できないのを知って気の毒に思い、夜中にこっそり忍びこみ、ちょうど寝室にかかっていたストッキングに、それぞれお金を入れてあげたサンタクロース(もちろん、その時にはこんな名前ではないが)。それが始まり。。。

ニコラス(サンタクロース)が、だんだん成長していき、心の頼りであったフィリップ神父も亡くなってしまう。神父のあとをついで聖職者になったニコラスだが、貧しい人や困っている人に密かにプレゼントを贈るという彼の善行は、徐々に範囲を広げていき、赤い服(聖職者のマントが赤い色で、白の毛皮の縁取りがある)の「gift-giver」として知れ渡るようになる。つまり、サンタクロースはなぜ赤い服を着ているのか?という疑問の答えだ。

しかしこうした本筋の周囲に、実際の史実が書かれているので、歴史の教科書を読んでいるみたいな気分になる。それをなくすれば、もっと簡潔にサンタクロースの生涯がわかるのに・・・。もっとも、歴史が織り交ぜてあるからいいのだということなんだろうが、ファンタジーとしてのサンタクロースの生涯の話を期待していたので、ちょっと頭が痛いと思ったが、読み進むうちにどんどん面白くなっていった。実はなかなか奇想天外な物語だったのである。

ちなみにニコラスの時間の進み方は、一般の人の進み方と違っていて、そのため、今でも長生きしているということらしい。(^^;

●キリストの誕生日
キリストの誕生日は、最初多くの人が1月6日を、他の人は12月25日を誕生日としていた。実際、キリストの誕生日はいつなのか、定かではなかった。またその当時、その日は「イエスの誕生を祝う日」であって、まだ「クリスマス」という名前ではなかった。もちろん「サンタクロース」も同様。彼は何世紀もの間、ただニコラスと呼ばれていた。

キリストの誕生日は、紀元350年、当時のローマ法王ジュリアスによって、正式に12月25日とされたが、学者の研究によれば、キリストが生まれたのは春であるとされている。それでもいくつかの国では、12月6日の聖ニコラスの日をキリストの誕生日としているし、またいくつかの国では、東方から来た三賢者がキリストの誕生を祝って贈り物をしたのは1月6日であるとされている。

●古代ローマのカレンダー
古代のローマのカレンダーは、1年は10ヶ月、304日であった。Martius、Aprilis、Maius、Junius、Quintilis、Sextilis、September、October、November、Decemberである。最後の5つはローマの言葉で、5、6、7、8、9、10という意味。後にロミュラスの子孫により、JanuaryとFebruaryが加えられ、1年は355日になった。

その後ジュリアス・シーザーにより、QuintilisはJuly、Sextilisはシーザー・オーガスタスの名をとって、Augustになった。1582年、法王グレゴリーは、4年に一度、2月に1日加えることに決めた。

●ニコラスの魔法
ニコラスは贈り物を届けるのに、空を飛び、風に姿を変えて家の中に入ると言われていたが、実際何も特別なことはしていなかった。しかも移動には、ごく普通のラバを使っていた。

ニコラスがコンスタンチノープルに向かっていた63歳の時、魔法は起こった。普通の人間が1日に20マイル(約32キロ)歩くところを、ニコラスは40〜50マイル(約64キロ〜81キロ)も歩いており、しかもほとんど眠っていなかったにも関わらず、全く疲れを感じていなかった。通常なら2週間はかかる道のりを、たった5日で歩いてしまったのだ。これがニコラスの最初の魔法だった。時間だけでなく、距離の感覚も普通の人間と違ってきたのだ。

●旅の道連れ
ローマでフェリックスという相棒をみつけ、一緒に旅をするようになるが、フェリックスもまた年をとらなくなった。その後、同じく孤児であったレイラと恋におち、間もなくニコラスは結婚する。そして3人で「gift-giving」を行うようになった。

453年、ニコラス173歳の時、フン族のアッティラに会う。彼と彼の妻ドロシアもまた、ニコラスたちの道連れとなった。

ニコラスがブリテンに入ったとき、ブリトン人とサクソン人の戦いは40年にも及んでいた。496年、アーサーがブリトン人の王となり、サクソン人から国を守っていたが、500年、アーサーが手ひどい傷を受けた時に、ニコラスは手当てをする。怪我が治癒したアーサーも加わった一行は、アイルランドに渡り、聖パトリックに会う。

次の6世紀の間、学者たちはこれを「中世」と呼んでいるが、通称は「暗黒の時代」と呼ばれていた。570年、メッカにモハメッドが生まれ、632年に亡くなるまで、モハメッドはイスラムに新しい宗教を植えつけた。

アーサー王の伝説が人々の口にのぼり、魔法の城キャメロット、円卓の騎士、宮廷の魔法使いマーリンなどの話が、さかんに歌われるようになった。そうしたアーサー王の物語は、その後も長く続いた。「キャメロットなどという素晴らしい城には住んだことがない」とアーサーは言う。

その頃ニコラスは、聖人となり、「セント・ニコラス」(のちのサンタクロース)と呼ばれるようになる。ヨーロッパとブリテンで、529年に12月25日が国民の祝日となって以来、家の前に常緑樹の葉を飾り、丸太の一部(Yule)を暖炉で燃やす習慣ができ、それが今日でも続いている。

●おもちゃ
1194年頃、おもちゃはどの子どもにも与えられているものではなかったので、ニコラスたちは、おもちゃをプレゼントすることにした。

●クリスマスを変えた男
クリスマスを変えた男がいる。アッシジの聖フランシスだ。1182年、彼はジョバンニという裕福なイタリアの商人だったが、19歳の時、ペルシャ軍に捕まり、1203年まで投獄されていた。出獄すると、彼はすっかり人が変わっており、1205年には、名前もフランシスと変えた。

世界のあり方について考えていたフランシスは、裕福な暮らしを捨て、ボロを身にまとい、はるか遠くの土地まで彼のメッセージを伝えて歩いた。フランシスは自国イタリアで、ラテン語のゴスペルが、無学な一般の人には歌えないのに気づき、自らイタリア語で歌うようにしたところ、皆から非常に慕われるようになった。

1223年、ニコラスたちはフランシスに会う。フランシスの一般の人にもわかるような聖歌(賛美歌)や説教のおかげで、1308年以来、人々は12月25日の教会のサービスを受けるようになり、これを「キリストのミサ」と呼ぶようになった。「Christes Maesse」または「Christ's Mass」、これが「Christmas」となったのである。この後フランシスは厩でのキリスト誕生の劇と、クリスマス・キャロルを歌うことを始める。そしてフランシスもニコラスの一行に加わり、のちに聖フランシスとなった。

<フランシスの言葉>
「世の中には辛いことが多いが、贈り物を受け取るということは、誰かがあなたがたを気づかっているということです。あなたがたはひとりぼっちではないのです」

●ルネッサンス
1200年に、中国で火薬が発明されたが、ヨーロッパは1200年代の後半になるまで中国との行き来がなかったため、1270年になって初めて、火薬というものを知った。西洋に火薬が伝わるには、長い時間がかかったのである。

アーサーとアッティラは、火薬に大変興味を持ったが、目にするまでには、さらに25年の年月が必要だった。ニコラスたちはヴェニスでマルコ・ポーロに会い、爆竹が破裂するのを見せられて、大層驚いた。その後マルコ・ポーロはジェノバの牢屋で3年を過ごし、その間に書いた『東方見聞録』は、多くの人に読まれ、続く500年の間、中国に関する情報をヨーロッパ人に伝え続けた。火薬はアッティラが心配した通り戦争に用いられ、1304年、アラブ人が竹筒に火薬を詰めて、敵に投げ込んだ。

そのほかの発明は歓迎すべきものだった。眼鏡はイタリアで1286年に登場。ニコラスとフェリックスは、大変重宝した。

1300年頃、ルネッサンス運動が始まり、芸術が盛んになるが、戦争は続き、病気も広まり、多くの人が食糧不足で苦しんだ。1314年〜17年の間に大飢饉が襲った。イギリス、アイルランド、ポーランドは特に打撃が大きかった。1347年には恐ろしい黒死病(またはペスト)が広まり、ヨーロッパの人々の3人に1人は、この病気で死んだ。

1350年、新たな発明(?)が広まった。それはニコラスたちの伝説の一部となった。ある家で、暖炉の前に吊るされていた靴下にプレゼントを入れておいたところ、以来、どの家にも靴下が吊るされるようになった。

●世界各地へ
1400年頃まで、ニコラスたち7人のグループは、どこでも一緒に旅をしていた。彼らはとても親しくなっていたが、一度にたくさんの場所に行けないという不満がつのってきた。そこでアーサーとアッティラが、グループを分けようと提案した。旅をしてプレゼントを配るグループと、1箇所に留まっておもちゃを作るグループだ。結局、ニコラス、フランシス、フェリックス、レイラが旅をし、アーサーはイギリスで、アッティラとドロシアはドイツでおもちゃを作ることになった。

●コロンブス
旅の途中でクリストファー・コロンブスに会ったニコラスたちは、女王の命によって、フランシスをコロンブスの同行者として航海に出すことになる。1942年8月3日、ニコラスはフランシスに別れを告げた。12月24日に、彼らの乗ったサンタ・マリア号が難破したが、コロンブスもフランシスも無事であった。1493年3月帰国したコロンブスは、その後3度の航海の果てに、失意のうちに貧しく一生を終えた。フランシスは航海に戻ることなく、再びニコラスと合流した。

●特別な日
新たにおもちゃ作りの専門家、ウィリー・スコーカンを加えた一行だが、1500年まで、「gift-giver」はニコラスたちではなく「聖ニコラス」であるという伝説になっていた。夜寝ている間に、セント・ニコラスが来てくれますようにと願う子どもたちを失望させまいと、毎年特別な日だけに「gift-giving」をおこなってはどうかとレイラが提案する。それ以外はおもちゃ作りに専念しようと。

最初のうちは、ニコラスが死んで(死んだとされて)「聖ニコラスの日」とされた12月6日に、プレゼントを配ることになった。ニコラスの仲間とそのヘルパーたちは、全員が白いふちどりの赤いローブを着て、ニコラスのような白いひげをつけた。

●レオナルド・ダ・ヴィンチ
1519年に、イタリアから新しい仲間がやってきた。レオナルド・ダ・ヴィンチである。彼は世界で最も有名な画家であったが、かねてから交流のあったフランシスに、「もう疲れた」ともらす。そうしてダ・ヴィンチは、ロンドンのアーサーのおもちゃ工場にやってくると、そこで人形の顔を描き始めたのだった。

●Father Christmas
1547年以降、イギリスのエリザベス女王がプロテスタントであったことから、聖ニコラスはカトリックの家にしか来ないという噂が広まった。実際には宗教などまるで関係なかったにも関わらず。当時のイギリスでは、カトリックの聖人を歓迎しなかったことから、人々はミステリアスな「gift-giver」を「Father Christmas」と呼ぶようになった。またフランスやドイツでも様々な呼び方がされ、ドイツでは「Christkind」と呼ばれ、普通、お供に小さな小人のヘルパーがついているとされた。

●新しい世界へ
1620年9月、ニコラスとフェリックスは、メイフラワー号に乗ってイギリスを離れ、アメリカを目指した。メイフラワー号はマサチューセッツのプリマスに到着。移住者たちは厳しい寒さにひどく苦労をしたが、それを救ったのがインディアンたちであった。

1621年、プリマスの知事となったウィリアム・ブラッドフォードは、彼らが生き残ってきたお祝いに、感謝祭をもよすと発表した。しかし、新天地アメリカでは、新しい伝統を作るべきであるとの考えで、クリスマスを祝うことを禁止した。

ニコラスたちは仕方なく、オランダの移住者たちがいるフォート・オレンジへと向かう。1621年、フォート・オレンジの北部は、ほとんどニューヨーク州となっており、人々はニコラスたちを歓迎し、盛大なお祭りをしてプレゼントを交換した。

●ピューリタン革命
その頃、イギリスではピューリタン革命が起こっていた。オリバー・クロムウェルはチャールズ�祇い鮟莊困掘▲�リスマスを祝うことを認めなかった。また、祝おうとするものは罰せられた。だが1660年、チャールズ�鏡い�即位すると、クリスマスは復活した。しかし、ピューリタンが再び力を取り戻した場合を恐れて、人々はおおっぴらにクリスマスを祝うことができなかった。

その後、オランダとイギリスの間に戦争が起こり、イギリスが勝利した。アメリカの植民地も、フォート・オレンジはアルバニーに、ニュー・アムステルダムはニューヨークと名前を変えられた。ニューヨークは村から都市となり、アメリカで三本の指に入るほど大きくなった。ちなみにほかの二つはボストンとフィラデルフィアであった。

●サンタクロース
イギリスはオランダの移住者に対し、公用語は英語にするよう法律で定めたが、彼らは「Saint Nicholas」もはっきりとは発音できず、「Sintnicklus」、「Sinta Klass」などと言っていた。そこから「Santa Claus」となり、アメリカで公にクリスマスプレゼントが配られるようになったときには、すっかり「サンタクロース」という呼び名が定着していた。

●独立戦争
1754年、イギリスとフランスは、アメリカの植民地で戦争を始めた。この時、ジョージ・ワシントンはイギリスの士官であった。1775年4月19日、アメリカ独立戦争の火蓋が切って落とされた。この戦争は1781年まで続く。

その間に仲間を増やしたニコラスの一行は、ベンジャミン・フランクリンにも会い、彼が遠近両用の眼鏡を発明している2ヶ月の間に、彼をすっかり仲間にしてしまった。

1776年、ジョージ・ワシントン将軍がフィラデルフィアのフランクリンを訪ねてきた。フランクリンのところでクリスマスの話を聞いたワシントンは、ドイツ兵がクリスマスのお祝いをしている間に周囲を取り囲み、翌朝攻撃をしかけて、ドイツ軍を圧倒した。これは植民地開拓者の最初の勝利であった。

●新聞での宣伝
独立後のアメリカでは、まだクリスマスとサンタクロースを知らない人が多く、ニコラスたちがプレゼントを配っても、不審な侵入者があったとして、クリスマス・イブには大人は寝ずの番をしていたりしたので、ニコラスたちはプレゼントを配ることができなかった。

そこで考え出されたのが、サンタクロースとヘルパーたちについて、彼らの贈り物がクリスマスのお祝いの一部としていかに楽しいものであるかということを、新聞に載せようというものだった。その記事を書く作家として選ばれたのが、ワシントン・アーヴィングであった。

アーヴィングが書き上げたのは、「Knickerbocker's "A History of New York from the Beginning of the World to the End of the Dutch Dynasty"」というもので、1809年に出版された。そこにはサンタクロースは空を飛ぶと書かれてあった。ニコラスはアーヴィングも仲間に誘ったが、かれは「あなたがたが子どもたちに贈り物をするのが目的であるように、私の人生は書くことが目的だ」と断った。

1818年オーストリアに行ったニコラスの一行は、クリスマスのミサで、初めて「聖しこの夜」を歌った。その頃、ロンドンのアーサーのもとには、アメリカのフェリックスからニコラス宛の手紙が届いており、「すぐアメリカに戻られたし。今や皆があなたを知っています。あなたは有名人です」とあった。そこにはまた、不思議な追伸がついていた。「空を飛ぶトナカイを8頭連れてきてください。もし可能なら」

●クレメント・ムーア
ニューヨークの有名な学者であり、歴史家でもあったクレメント・ムーアは、ワシントン・アーヴィングの本が大好きであった。彼の一番のお気に入りの一節は、クリスマスプレゼントを子どもたちに配っている非常に長寿の聖人について書かれたものであった。

1822年、ムーアの愛娘チャリティが、クリスマスに詩を作ってほしいと頼んだ。12月23日になって、詩を考えていた時、庭師のジャンの人のよさそうな温かみあふれる風貌を見て、すぐに詩が浮かんできた。ムーアはそれに「A Visit from Saint Nicholas」というタイトルをつけた。その詩は1823年に出版されたが、何年もの間、彼の名前は伏せられていた。しかしその詩によって、アメリカの子どもたちはサンタクロースについて知ることになるのだ。

ニコラスは、その詩を実際に読んで驚いた。「トナカイがサンタクロースの橇を引いて空を飛ぶ」「8頭のトナカイ」「トナカイにはそれぞれ名前がある」「サンタクロースは屋根の上に降りる」とあったからだ。それと「サンタクロースのお腹はちょっと太っている」というのには不平を言ったが、実際ニコラスはとても太っていた。それに「私はエルフじゃなくて人間だ」と。

●空を飛ぶトナカイと橇
一番の問題は、空を飛ぶトナカイだった。これには、レオナルド・ダ・ヴィンチが手を貸した。実際トナカイは飛べない。だから、トナカイのハーネスと橇に翼をつけたのだ。フランクリンが付け加える。「トナカイが橇を引くのが十分速ければ、橇は飛ぶはずだから、ラップランドに行って、一番速いトナカイを8頭連れてきた」と。その8頭のトナカイは、ムーアの詩にある通り、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドンダー、ブリッツェンと名づけられた。そして、トナカイの引く橇は、見事に飛んだ!

●'Twas Night Before Christmas
1842年のクリスマスイブに、ニコラスはムーアの家でワシントン・アーヴィングに再会する。アーヴィングによれば、ムーアの「A Visit from Saint Nicholas」というタイトルは、人々の間でいつのまにか、出だしに使われている一節から「'Twas Night Before Christmas」と呼ばれるようになっているとのことであった。また、アーヴィングの書いた『The Sketch Book of Geoffrey Crayon』も大好評で、そこに収められている「The Legend of Sleepy Hollow」の首なし騎士の話はハロウィーンに関連づけて読まれ、ムーアの詩はクリスマスになくてはならないものとなった。


<翌日のページにつづく>

2003年12月30日(火)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.
≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME


↑参考になったら押してください
My追加

Amazon.co.jp アソシエイト