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■ ハラスのいた日々<増補版>/中野孝次
出版社/著者からの内容紹介 一匹の柴犬を��もうひとりの家族��として惜しみなく愛をそそいだ感動の愛犬記。後日談と可愛い写真もさらにふえ、��ハラス��は甦える。
この話は実話で、映画にもなっている。以前、映画で見てボロボロ泣いてしまったので、原作のほうも間違いなく絶対に泣くだろうと思って敬遠していたのだが、ついに手に取ってしまった。
予想通り、本を読みながら、今は亡き愛犬の姿を思い出して、声を上げて泣いてしまった。犬の話は理屈抜きに弱い。犬を飼ったことのある人なら、やっぱり皆泣いてしまうだろうと思う。それほど犬というものは、人間の心に深く入り込んでくるものだ。愛犬が死んで10年もたつというのに、いまだに立ち直れない自分を再認識した。父もかわいがっていた犬のあとを追うようにして亡くなったので、余計に辛い。
しかし犬の話を読むと、人間が犬に寄せる愛情というより、人間に対して犬が示す、けして裏切ることのない忠誠、絶対的な信頼、愛情といったものを強く感じる。その姿を思い出すだけで涙が出てしまう。
スキー場でハラスがいなくなってしまったという話があるのだが、氷点下19度という厳しい寒さの中、いったいどこに行ってしまったのか、まるで消息が掴めず、中野氏は物も食べられないくらいに心配していたのだ。数日後、もう諦めようとしていた矢先、すっかり痩せ衰えて戻ってきたハラスの姿に、涙が止まらなかった。ハラスは主人が出かける姿を見て、自分を置いて帰ってしまうのだと思い込み、必死に車の後を追い、見知らぬ土地で迷ってしまったのだが、飲まず食わずで主人を探し続けた結果、かすかな呼び声を頼りに戻ってきたのだ。主人を思う一心とはいえ、なんという忠誠心だろうか。
またハラスが徐々に老いていく様は、私もそういう場面を見てきただけに、ひしひしと哀れを感じる。犬は人間よりも寿命が短いし、物も言えないから、老いて辛いことがあったとしても、何も言えない。病気になっても痛いと言えないから、それに気づいてやれなかった人間の側が、後悔の念に打ちひしがれる。主人を見ると、足も立たなくなっているのに、尻尾を振り、必死で立とうとする。そういう姿は、老いというものを痛いほどに感じさせるのだが、どうしてやることもできない事実に、ただ涙するしかない。
実際、こうやって書いている間も、涙が出て止まらないのだ。まったく犬というものは憎らしいのだか、素晴らしいのだか、人間とは比較にならない別の次元の生き物だ。犬などどれでも同じということも絶対にない。中野氏が「ハラスという犬は、ただこれきりなのだ」と言っているように、死んだから別の犬を飼えばいいというものではない。1匹の犬にそそいだ愛情は、その犬だけのものなのだ。
犬の話は、ほんとに弱い。嫌になるほど弱くて、メロメロになってしまう自分が情けないが、犬が人間に示す忠誠には、それだけのものがあると思う。
2003年11月16日(日)
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