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 PAY DAY!!!/山田詠美

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もうすぐ17歳になる双子の兄妹ハーモニーとロビン。教師の父親と証券会社で働く母親が1年前に離婚し、ハーモニーはサウス・キャロライナで父親と、ロビンはニューヨークで母親と暮らしている。夏休みを利用してハーモニーの住む南部の町ロックフォートを訪れたロビンは、そこでショーンという青年と恋に落ちる。だが、夏の終わりとともにニューヨークへ戻ったロビンに、運命の9月11日が訪れる…。

本書は、アメリカ南部の田舎町を舞台に、2001年の同時多発テロ事件の被害者家族を描いた山田詠美の長編小説である。しかし、テロによってうちひしがれた少年と少女の悲劇というわけではない。犠牲者達の写真を見つめながら「私たち、お気楽なティーンネイジャーでいちゃいけないのかな」とつぶやくロビンの姿に象徴されているように、理不尽な暴力を前にして、口先だけの正義や道徳は、何も意味をなさないことを、著者は熟知している。本書で突きつめられているのは、一瞬にして家族を殺してしまうほどの暴力が確実に存在するこの世界で、人間はいかに成長していけばよいのか、という命題である。

そうした重いテーマでありながら、恋人となかなか一線を越えることのできないロビンの戸惑いや、人妻との不倫を続けるハーモニーの、背伸びした恋のういういしさなどが、じつに晴れやかに描かれる。また、湾岸戦争帰りでアル中の叔父ウィリアムや、新しい伴侶を求める父親の姿など、兄妹を囲む家族の存在感も、物語を奥深いものにしている。そして「少なくとも、給料日には幸せになれる」と締めくくる著者の視線は、前向きで力強く、世界のすべてを祝福するかのように、やさしい。ラストシーンを読み終えた読者は、本書が、幸福な家族の物語であったことに気づくはずである。(中島正敏)




内容以前に、読んでいてものすごく奇妙。日本人が書いたアメリカの話・・・というと普通に聞こえるが、山田詠美の小説ということを考えなければ、アメリカの小説の翻訳という感じ。しかも会話部分がいかにも翻訳調というのが奇妙に思える所以かも。特に親子の会話が不自然で、首をひねってしまう。とても日本人が書いたものとは思えない。

日本語にルビをふって英語を書いてあるのも(例えば「現実」にリアリティとか、「感謝祭」にサンクスギビングデイ、「肉汁」グレイヴィ、「おじいちゃん」グランパ、「携帯電話」セルフォン、「911」ナインワンワン、「お菓子」スウィーツ、などなどあげたらきりがないほどたくさんの言葉にルビがふってある)、翻訳ものにはよくあるが、だってこれは日本人が書いたんでしょう?と思ってしまうと白々しく感じる。これって必要なのかな?たぶん彼女の頭の中では必要だったんだろうな。日本語の音ではなく、英語の音で感じてもらいたいというような・・・。英語(カタカナだけでなく、アルファベットでも)の多用もしかり。そのあたりが、読んでいてどうもしっくりこない。

この本は、2001年9月11日の同時多発テロの事件を扱っているのだけれど、あのワールド・トレード・センターの爆破で、母親が行方不明になった。その時の会話。

兄「ダディ、マムは、あなたの前で泣いた?この泣き虫な女みたいに、あなたに涙をふかせたこと、ある?」
父「あるよ、彼女はぼくの前でしか泣かなかった」
妹「ダディは?あなたは、マムの前で泣いたことがあるの?」
父「あるよ」
妹「じゃあ、マムもあなたに愛されてるって感じたのね」

世の中にはこういう風に話す親子もいるんだろうが、私にはこういう会話は信じられない。少なくともまだ事件が起きたばかりで、母親が死んだと決まったわけではないし、心配でパニック状態であろう時点で(いくら両親が離婚していたにしても)。これが数年たって、事件を回想していると言う状況ならまだわかるのだけれど、この時点でこんな悠長な会話をするだろうか?ともあれ、これはほんの一例。

翻訳ものなら、何を言っているのかわかれば良しという気持ちで前に進めるのだが、これは翻訳ではなくて、日本人の書いた日本人が読む本であるわけだから、妙に引っかかる。丁寧に「お父さん(ダディでもいいが)、お母さん(マムでもいいが)は、あなたの前で泣いたことがありましたか?」というなら、もっと自然に受け入れられると思うのだけど、そういう礼儀正しい喋り方をしつけられている家族でもないし、とにかく不自然さが目に付く。

山田詠美は以前に何冊か読んでいるけど、こんな作風だったっけ?という感じを受けたのが、まずは第一印象。ちなみにこの家族の父親は黒人、母親はイタリア系の白人である。もしこれが英語で書かれていたら・・・と考えたとき、ふと山田詠美の目論見が見えたような気もする。

で、後半になって、やっと山田詠美らしさが見えてきた。つまり男女の間の物語が語られてきたということになるのかな。兄のハーモニー、妹のロビン、そして父のレイ、それぞれの恋愛模様が語られて行くのだが、ニューヨークのテロの心理的影響は各自に影を投げかけている。

突然母を失ったことに対し、まさにその時ニューヨークにいたロビンと、そこにいなかったハーモニーでは、おのずと感じ方も違い、しばしばそれが意見の相違となって対立が生じたりもする。アメリカ中が、あるいは世界中が事件について語り、戦争が起こっていく中で、あの場にいたロビンは、何かが違うと思い、いら立つのだ。

もっとも、全体として見たとき、あのテロをモチーフに使わなくてもいいのでは?という気がしないでもない。突然母を失う悲しさは、テロであろうが何であろうが同じだ。ただ、テロの場合、その怒りや悲しみを誰に向けていいのかわからないということがある。そういった悲しみに負けず、明るく前を向いて生きていこうとする彼らはいいと思うが、少しお気楽すぎて、事件の悲惨さや重大さが見えてこないのではないか?という思いもする。逆に考えれば、戦争をしているのは政治家だけで、庶民はただ、失った人の思い出を抱きつつ、悲しみを克服しながら毎日を生きていくしかないのだということかもしれない。

というわけで、話の核はあのテロの事件ということなのだが、山田詠美の得意とするところは男女間の物語であり、その部分に、やはり彼女らしさを感じる。ベッドの中の描写など、何年も前に読んで、すでに忘れてしまっていた彼女の作品を明確に思い出させるくらい、特徴的だった。これがないと、山田詠美じゃないという感じ。ただ状況描写などはいいのだが、会話部分には最後まで不自然さがつきまとって、馴染めなかった。

個人的には、アル中のウィリアムおじさんに非常に興味を持った。湾岸戦争帰りで、なにやらいろいろありそうな男。それについては何も詳細には描かれていないが、このおじさんがいることで、不自然な家族がまとまっている感じがするのが不思議。ここには描かれていない、ウィリアムおじさんの話を読んでみたい。


2003年07月17日(木)
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