空色の明日
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2002年01月28日(月) コドモの部分

今めずらしく司馬遼太郎なんか読んでます。
といっても相変わらず歴史が嫌いなので読みやすいエッセイ。
「風塵抄」っていう作品です。

やはりこの頃、いい加減なものばかり読んでたせいもあって
文章の無駄の無さと言葉の魔法に魅了されております。
その中ですごくガツンと来たものについて。

「高貴なコドモ」という章。
人の中にあるコドモの部分がいかに大切であるかが綴られています。
想像力と創造力は、みんなこのコドモの部分から生まれるのだけど
このコドモの部分というのは、大切に大切に育てないとすぐに干からびる。
放っておいてもどんどん無くなっていく物だけに、それを大切に
育て続けることは至難の技。
でも「コドモの部分」というのは「子供っぽさ」とは違う。
もっと高貴な正義の部分だ。

ってなことをほんの5ページぐらいに書かれてるんだけど、私はその文が
ものすごく気に入ってしまいました。

私は子供の頃から、ものすごく冷めている様で実は夢見がちな人でした。
どんなことも、いいことへ結びつけようとするのはその名残だと思う。
でも、大人になったら夢見がちでいてはいけないと思ってたのです。
現実をみることが大人なんだと思っていたから。
でも実際に現実ばかりを見ると、絶望することばかりで毎日がまるで楽しくない。

だからこの「高貴なコドモ」に出会ってとても安心しました。


実はこれを読んでUSJのキシタカさんのことを思い出していました。
「大道芸は楽しもうという気持ちで見ないとつまらない。」
っていうようなことをずっと毒舌込みで言ってる彼。
初めて彼のパフォーマンスを見た時に、正直言うと私は
それを見て「楽しい!!」って思えた自分がすごく嬉しかった。
ものすごく素直な気持ちで笑えた自分がそこにいたこと。
今思えばそれが「コドモの部分」で笑えた証拠だと思います。
腕組みして鼻で笑うような人間にまだなっていないことがとても嬉しかった。

それをどう表現してよいかずっと考えていたのですが、
この「高貴なコドモ」を読んでやっと答えがでました。

そういえばこの前書いた、雪が降ってきたことをメールで知らせてくれた
友達のことも同じだと思います。
彼は「これって子供だから?」って書いてきてたけど、実は
「コドモの部分が残っているから」なんですね。

キシタカさんに、実はすごいことを教わってたんだなぁって思います。
もうじきUSJを去る彼がここを読んでるとは到底思えませんが
心から感謝しています。
あらためて、大切に大切にこの「コドモの部分」を育てようと心に誓う安藤でした。


安藤みかげ