空色の明日
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2002年01月26日(土) 信じること

先日、ここを読んでくださっているある方とお会いしたんですが
前に書いた「マン・オン・ザ・ムーン」の話になって、
『人を信じる』ことについてちょっと語り合ってしまいました。

私はだいたい人のことをほとんど信じていません。
っというか、傷つきやすい性格なので、できるだけ傷が深くならないように
はじめからあまり信じたり期待したりしないように心がけてるらしいのです。

これってすごく寂しい事かもしれないけれどある意味、自己防衛のひとつです。
でもそれって、なんか相手の人に対してすごく失礼な気がずっとしてました。

そんな私の気持ちを納得させてくれたのがあの映画でした。

人は相手の人に対していろんな想像を膨らませがち。
少しの仕草にいろんな意味を見出して勝手にいろんなことへ関連付ける。
なるべくその人のことを知ろうとする余りに見えていないところを
自分で作り上げていくんでしょうね。

でも最近考え方が変わりました。
その人が見せようとしている「その人のあり方」を「その人の全て」と信じようと。
仮に私がある人に対してとても「いい人」を演じようとする時
私はきっとその人に「いい人」と思われたいからそうするわけです。
それが家にいる時の自分と違っても、それは自分の中にある1面であって
確かに私自身であることに間違いはないわけです。

だからもし誰かが私に見せる顔を見て「あれって本当にあの人の本性なのか?」
と考える事は間違いじゃないかと最近思い始めました。
むしろその人が私に見せる顔は「そう見てもらいたい」と思って
その顔で私に接するのだから、そのままをその人と思って見るほうが
私の前にいるその人の私に向けた本性を素直に受け入れられるんではないかと。

そう考えたら、その面だけを信じることを怖いと感じなくなりました。
なぜならそれは私という人間に一度反射したその人の面を信じることだからです。
もし私が変わればその人も変わるかもしれません。
だから、もしその人がイヤな人になってしまっても、それは何か私の中の
イヤなところに反響してそうなってしまったと考えられるからです。
だから「騙された」なんてふうに考える事がなくなるわけです。

「騙された」と思うから人を信じるのがつらくなるのであって
あくまで非が自分にあれば信じた事に後悔はないと思うのです。

ちょっとまどろっこしい書き方でわかりにくかったらごめんなさい。
とにかく目の前にあることを正しいか間違いかで判断するのではなく
信じたいか信じたくないかで判断したらどんなことも後悔しないんじゃないか
ということを書きたかったのです。


安藤みかげ