空色の明日
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2000年10月06日(金) 運命の糸

今日のバラ珍スペシャル見ました?
「松野屋」ってやつ。
ご存知ない方にご説明すると旧満州で「松野屋」という食堂をやっていた
おばさんが満州時代お世話になった人にお礼が言いたいので探して!って
いうような内容。

私も詳しくは知らないけど、この旧満州は中国に日本が開拓した国で
そこではもちろん日本人の方が中国人より大きな顔してたんだけど
日本の戦局がまずくなってきてロシアが攻めこんできた時に
中国人が日本人に対して今までの反撃をし始め、そこで暮らしていた
日本人は焼き討ちに合ったり虐殺されたりしたらしい。

それで、そこにいた日本人は隠れたりしながら命からがら国外脱出。
中国残留日本人孤児っていうのはこの時に親を亡くしたり、
まだ幼くて一緒に連れて逃げられなかったり、隠れていて泣き出したら
困るので預けられたりした子供達のことです。
もちろんここで預けられた子はまだラッキーで親が自分の手で子供を
殺害した例も少なくないそうです。

何を隠そう私の母は昭和19年満州生まれ。
二人の姉と母親と共に1歳前に満州から脱出してきたのです。
おばあちゃんは子供の頃から孤独な人生を歩んできた人だったので
いつも人には分け隔てなくつきあっていて、この時も周りの日本人が
中国の人を蔑んでいた中で彼女だけは自分たちと同じように大切に
彼らとつきあっていたから暴動が起こった時も近所の中国人が逃げ道を
確保してくれてなんとか親子4人逃げ延びたそうです。
その時の事を彼女は「『もうどこに逃げても同じだからここで4人で死ぬ!』
と家の中で四人で身を寄せて覚悟をしていたらドアが開いて、
『もうだめだ』と思っていたら彼らが助けに来てくれたのよ」といいます。
そんな経験をして一度は死ぬ覚悟までした彼女だから震災の時だって
声一つあげませんでした。

私の母は残留孤児のテレビが始まるとすぐチャンネルを変える。
「自分があそこにいても全然おかしくないと思うと恐ろしい」のだそうだ。
運命と言うのは本当にいつ切れてもおかしくない細い糸のよう。
もしそのテレビの画面に母がいたら私は生まれていない。
戦争、震災いろんなピンチを運良くくぐり抜けて今わたしはここに生きてる。
何度も切れそうになったその糸がいまだに繋がっている。
人生なんて重いようで、明日風が吹けば飛んでしまうようなちっぽけなもの。
地球レベルで見れば。
だからこそ今日一日を思いっきり楽しみながら私は生きる。
そして明日死んでも悔いの残らないように周りのみんなを大切にしていたい。


安藤みかげ