空色の明日
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私の母は老人介護のヘルパーをして3年になる。 52歳の時、今までやっていた医療事務の仕事をリストラされ 半年間、専門学校に通ってこの仕事についたのだ。 彼女のガッツにはいつも感心させられる。
その彼女が来月その仕事を辞めるという。 理由を聞いたら 「今度主任になれっていわれたのよ。 私そんなにがんばりたくないしもう一つ資格取って 週3回くらいのもっと楽な仕事するわ」ときた。
いつだってそうだ。 彼女は無理をするのが嫌い。 がむしゃらに仕事をして家の事に手が回らなくなるのが 嫌なのだと言う。 でも家には祖母(母の実母)もいて食事の下準備やなんかは ちょうどいい運動がてらにやってくれている。 単に『余裕のなくなった自分』になるのが嫌なだけなのだ。
そして私も同じ類の人間に育ってしまった。 親子だからそうインプットされちゃったんだろう。 こんな人間ばかりいたら会社とか組織はとても迷惑だろう。 まあ、アメリカなんかはある意味こんな感じかもしれないけど、 少なくとも日本の組織では、ものすごくうっとうしい存在だろう。 はっきりいえば『自分勝手な人間』だ。
ただ少しのお小遣いと少しの存在理由が欲しいだけなのだ。 達成感とかそんなものは彼女には無縁だ。 欲だっていい欲も悪い欲も足りない。 それを彼女は「ささやかな幸せが好きなのよ」と言う。
ささやかな幸せ・・・。 地位も名誉もないけれどただ毎日を楽しく生きていける幸せ。 ご飯を食べて家族と話してお日様の匂いのお布団で眠る。 そんな幸せが彼女の言う幸せだ。 ささやかな幸せは小さいけれど長続きする。 大きな幸せは自慢になるけど長くは続かない事が多い。
私は、20歳前後の頃(自分にもっといろんな力があると信じていた 年頃)「もっと幸せになりたい」とよく言っていた。 でも求めつづけるほどに幸せは遠い。 求めず、足もとの幸せに気付いて感謝すれば、いつでも幸せになれる。 自分を不幸せだと思っている人の大半は、求めすぎてるだけだと思う。 それを向上心と呼ぶ場合もあるけれど貪欲とも呼べる。 己を知ればそれが向上心か貪欲なのかはわかるはずだ。
私や母のように、人に何かをしてあげられるような位の特技がない 凡人はこのくらいのささやかな幸せで十分だ。
安藤みかげ
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