petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2006年01月17日(火) 『ACCIDENT』(マイフェアシリーズ。…これでも一応、誕生日ネタ…)

「どうしよ……」

 じくじくと痛むのはてのひら。そして膝。二の腕の辺りも、こすれてしまったのか、ひりひりと痛い。
 ヒカルの目の前には、転んだ衝撃で投げ出されてしまったデパートの紙袋。…そして、亜麻色のカシミヤのマフラー。
 柔らかくて、暖かそうだったそれは、今、雪がとけてできた灰色の水たまりに汚され、じわじわと濡れてゆく。
 ヒカルは慌てて起き上がり、それを取り上げたが、今度は泥で汚れたヒカルの手によって、マフラーはさらに汚されてしまった。

「どうしよ……」




 先日までの大雪が嘘のように晴れた日だった。ここ最近、風邪をひいていて外に出られなかったから、余計に外に出られたのが嬉しくて。
 いつもより、はしゃいで街中を歩いた。友達に宛てた「遊びに行かないか?」というお誘いメールはことごとくフラれてしまったけれど、それすらも、あまり気にならないくらいに。
 せっかくのひとりなんだったら、思い切り自分の好きなものを見に行って、ひとつだけ、一番気に入ったものをを買っちゃおぅ♪と決めた。
 お気に入りのTシャツの店とか、スキーに行きたくなるような格好良い帽子とか、カーゴパンツ。ipodには大好きなグループの新曲をいくつもダウンロードして、CDショップには何か掘り出し物はないかと視聴コーナーを制覇してみたり。欲しかったスニーカーは、まだ飾られてはいたけれど、大好きなんだけど、何故か、まだ買う気にはなれなくて…もう少し、眺めている事にして。TVでも紹介されたというそばクレープは美味しくて、今度は奈瀬も連れて来よう、と思った。彼女は甘いものにウルサイのだが、きっとこのクレープだったら大満足だろう。
 そんな時に前を通り過ぎようとした紳士物のコーナーで、ヒカルの足が止まった。スーツを着せられて立つマネキンたちの中央に、ひときわ目立つ、白いスーツを着こなしたそれがあったのだ。

――そして、思い出した。

「そっか……今日、緒方さん、誕生日だ…」


――そう、思っただけだったけど。

 気がつけば、ヒカルはそのマネキンが首に巻いていたマフラーを購入していた。
 駆け出したいような、跳ねるような、うきうきとした気持ちのままで。
 ヒカルは、デパートを後にして……まだ凍っていた雪の固まりを踏みつけ、転んだのだった。



 …気がつけば、お尻や腿の辺りが冷たくなっている。この分では、下着まで濡れてそうだ。
「いたたたた……」
 ひょこ、とヒカルは立ち上がると、おぼつかない足どりで飛ばしてしまった紙袋に手を伸ばした。
 しかしヒカルの手が届く前に、それは別の手によって拾われる。
「あ………」

 黒い皮手袋に覆われた、細くて、しなやかで、大きな手。
 さっきまでは、すごく会いたかったひと。
 ……けれど……今は、いちばん会いたくなかったひと。


「大丈夫か?進藤」

 くしゃり、と髪がかき混ぜられる。ヒカルはうつむいたまま、首を横に振った。


 全然大丈夫じゃない。
 足は、痛いし。手のひらだって、擦りむいたし。
 たくしあがった袖は下げたけど、何か二の腕はぬるぬるしてるし。
 お気に入りのダッフルコートや、スニーカーは泥だらけになるし。
 ジーンズだって濡れて、とてもつめたい。

―――だけど。
―――だけど。


 くい、と緒方の手によってヒカルの顔が上向けられたが、ヒカルはそれを避けるようにうつむいた。



「――?!」


 次の瞬間、寒さと痛さに震えていたヒカルは、暖かなコートにくるまれる。驚いたヒカルは、そのコートの主を見上げた。
「そのままじゃまた風邪がぶり返すぞ」
 とりあえず来い、と肩を叩かれた。
 
 くるまれる、ああたかいコート。
 香るのは煙草と、いつもの香水の香り。
 彼の匂いだ。
 イジワルで、傲慢で、高飛車で、大人なのに子供みたいで……大きな、手の。


 ヒカルは手を伸ばした。
 もう片方の手には、汚れて濡れた、亜麻色のマフラー。

「おがた……さん」
「…ん」

 ぎゅ、と、彼のスーツにすがりつく。

「緒方さん」
「何だよ」

 無愛想な声なのに、背中をさする手はすごく優しい。

 なにか。
 言わなくては…と思うのに、言葉に、ならない。
 ならないままにほぽろぽろと、涙がこぼれてしまう。
 …だから余計、こえが……


「………ごめんなさぃ…………」
「?」

 ヒカルに謝られる理由が読めず、緒方は眉を寄せる。
 しかしヒカルは、しゃくりあげながら、ごめんなさい、と繰り返すだけ。







 緒方は、いつまでも泣き止まないヒカルに苦笑しながら、彼女をくるんだコートごとヒカルを抱き上げる。
 そして、そのまま彼女を車へと運んだのだった。


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