| 2001年12月08日(土) |
Play Back-昭和54年 至上最高の試合- |
「あの松井(巨人)も,敵わないくらい凄い人だよ」
いつも私がお世話になっている松下電器野球部。 そこで渉外というお仕事をしている堅田さんは凄い人だった。 “だった”ではなく,今でもその伝説は 高校野球史に深く刻まれている。
昭和54年8月16日第61回選手権大会3回戦。 箕島対星稜。 あまりにも有名なこの試合,延長18回の死闘の中でのミスだった。 箕島・石井毅と星稜・堅田外司昭の投げ合いは1−1のまま 延長へ突入する。延長に入ってもシーソーゲームな戦いを見せていた。 16回表,星稜は逆転,その裏の箕島の攻撃を抑えれば… このゲームは終わっていた。 2アウトまで追いこむ あと1アウト。 最後の打者・森川の打球は1塁ファールグランドへ。 しかし,1塁手の加藤がまさかの落球。 直後に森川は同点弾を放ち,18回にサヨナラ勝ちした。 堅田の肩は限界だった。
主審をしていた永野氏は球場を去る堅田に 「もう1度,(甲子園を)見ておきなさい」 と告げ,ボールを渡した。 永野氏自身も自らのエラーで甲子園優勝を逃した経験があり 正直,引き分けになってほしかったそうだ。 箕島サヨナラ勝ちのホームベースで 永野氏はどんなことを考えていたのだろう。 加藤落球の瞬間,自分のことを思い出したことは間違いない。
数年後,加藤は堅田の 「あそこで(本塁打)打たれたのが悪かった,申し訳無かった」と テレビでコメントしているのを聞き,感動したという。
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