舌の肥えた塔矢と何かを食べるというのは実は結構問題で、育ちがいいから言葉にはしないけれど、マズイ時はマズイとはっきり顔に表れてしまう。
「今日、なんか食って帰ろうぜ」
なので碁会所で打って遅くなった時などは、大抵カフェかそば屋で食べて帰ることにしている。
妥協点と言うか、それくらいが唯一お互いに可もなく不可も無く物を食べられる場所だからだ。
「藪茂に行く? それとも駅の反対側のベーカリーカフェに行く?」
行きつけの店の名前を挙げたのに、何故か今日は塔矢の返事は鈍かった。
「うん…それでもいいんだけど」 「何?なんか他に行きたい所でもあるん?」 「う…ん」
口ごもる視線の先には回転寿司屋があって、まさかと思いつつ尋ねて見た。
「もしかして、回転寿司に行きたい?」 「う…ん。前から一度入ってみたいと思っていたんだ」 「いや、おれは別にいいけどさ、おまえ普段美味いのを食べ慣れてるんだろ? だったら口に合わないんじゃないかと思うけど」 「別にそんな特別な物を食べているわけじゃないよ」
ただ、回っているお寿司は食べたことが無いだけでと、言うその口が食べたであろう寿司はたぶん銀座などの高級店の寿司なのだ。
「入りたいんなら別にいいけど…がっかりするなよな」 「しないよ、キミは人のことを一体なんだと思ってるんだ!」
少し拗ねた顔をしながら、でも塔矢は嬉しそうな顔をしておれと一緒にごくごくフツーの回転寿司屋に入ったのだった。
そしてカウンターに並んで座り、おれは腹が減っていたので二、三皿続けざまに取って食べた。
でも塔矢はじっとレーンを見詰めたまま動かない。
(ほら、やっぱりダメなんじゃん)
普段活きが良いネタを見慣れている塔矢にはとても不味そうで手を出せないんだなと、溜息をつきつつ自分だけ食べ続ける。
けれど塔矢はやっぱり一皿も手を出さない。
満腹になる頃になってもやはり一皿も食べずに居る塔矢にさすがにおれも声をかけた。
「なあ、そんなにダメ?」 「え?」 「どれか一つくらい食えそうなの無いん?」 「あ…いや」
どれも美味しそうなんだけどと意外なことを塔矢は言う。
「じゃあなんで食わないんだよ」 「タイミングが合わなくて」 「は?」 「だからお寿司の流れるのが早くて、皿を取るタイミングが掴めないんだ」
しばらく意味が飲み込めなくて、でもわかった瞬間に噴いた。
「何? おまえ、この皿が取れなくてさっきからじっとしていたん?」 「悪かったな、ぼくはキミみたいに運動神経が良くないんだ」
いや、だって運動神経とかそういう問題じゃないだろうと思いつつ、よくよく見れば塔矢は至極真剣な顔で右手をわきわきと動かしている。
それが皿を取ろうと待ち構えているのだと気がついて、おかしさより可愛さに心が支配された。
(こいつって、マジ本当に)
可愛い―――。
「…何食べたいんだよ」 「え?」 「だから、おまえ何食いたいん?」 「ええと…エンガワ」 「わかった。エンガワな。後は?」 「イクラとはまちとイカが食べたい」 「わかった」
おれはレーンの上から言われた皿を取って塔矢の前に置いてやった。
「ありがとう」 「いや、別に礼を言われるようなことじゃ…」 「このまま何も食べられないで終わってしまうのかと思っていたんだ。ありがとう」
それは素直な、有り得ない程素直な笑顔だった。
「ん、いいけど、本当にそれ、おまえが普段食ってるようなヤツじゃないからがっかりすんなよ」 「しないよ」
キミが取ってくれた物をがっかりなんてするはずが無いと言った塔矢はその言葉通り、寿司を全て美味そうに食べた。
それどころか興が乗ったらしく、茶碗蒸しやカニみそ汁、デザートまで食べた。
「ご馳走さま」
店を出る頃には二人併せて結構な皿数となっていて、でも一皿百円なのでおれはそれ程財布を痛ませることも無く、気持ち良く塔矢に奢ることが出来た。
「でさ、おまえ…本当に美味かったん?」
店を出る時、レーンの中で寿司を握っていた職人にバカ丁寧に「美味しかったですご馳走様でした」と頭を下げて恐縮させた塔矢におれは思い切って聞いてみた。
「美味しかったよ?」
エンガワはゴムみたいに固くて、イクラは人造で、はまちもイカも活きが悪かったけれどと、それちっとも褒めてねえ!と思いつつ、でも塔矢の顔は笑っている。
「カニのお味噌汁もちっともカニの味がしなくて、茶碗蒸しも調味料の味がキツ過ぎたけど、でも…美味しかった」 「マジ?」 「うん。キミと一緒に食べたからかな、どれもすごく美味しかった」 「ふーん」
塔矢は嘘をついていない。少なくともその顔は嘘をついている顔では無いのでおれも笑ってしまった。
「なんだおまえって結構貧乏舌なんじゃん」 「貧乏舌?」 「おれと同じってこと!」 「そうか、うん。だったらぼくは貧乏舌だよ」
意味もわからず微笑んでいる塔矢の顔は究極に可愛い。
(意味がわかったらきっと殴られるんだろうけど)
でもその笑顔は本当に本当に本当に本当にたまらないくらいに可愛かったので、おれは貧乏舌万歳と思った。
そして、絶対にまた塔矢を回転寿司屋に連れて行って、塔矢の代わりに幾らでも寿司の皿を取ってやろうと心からそう思ったのだった。
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すみません。日記に回転寿司のことを書いたらどうしてもトロくさく皿を取れないアキラが見たくなってしまって自分で書いてしまいました。
いくら何でもそりゃ無いだろうとは思うのですが、でも生まれて初めての回転寿司ならばこういうことも有り得るのではないかと思ったり。 ほら、あれですよ。小さい子がエスカレーターの乗り降りに苦労するようなあんな感じです。
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