Kin-SMA放言
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| 2004年02月21日(土) |
目の前をヒカルが飛んでったんだけど |
すごいお人形じみてて怖かった(^^ゞ
昨日の日記に書いた“夕方からのヤボ用”とは、2度目の『Shocking SHOCK』(帝国劇場)観劇のことであります。
初日には自分的にも盛り上がっていて、座長が元気だったこともあってかなり(ぼくにしては)甘々なネタばれ感想を書いてしまったのですが、改めて虚心で観ると、やはりヘンテコなところはなくなっていないわけです。
今日は、クオリティの高いショー部分については一切語らず(この辺のことは、後日追加)、地の芝居部分にツッコミまくろうと思います。
とにかくこの作品、いくら細かい部分を手直ししても、脚本の土台があまりにも変なので、最終的にそれが気になってしまうと、いくら“キャンパニーのみんな”(c 風ぽん/笑)ががんばっても、観終わって釈然としない気分だけが残ってしまう。
初日に観た時には、昨年版の「変なとこ」がいくつかなくなっていた嬉しさで、だいぶ甘い点をつけてしまったのだが、改めて虚心で観てみて、やはり「どこまで本気で観てたらいいの?」っていう気分にならずにはいられなかった。
まず、一体、リーダー(尾藤さん)て、何者だったの?
きっと、ヒカルと大学かアクターズスクールかなんかで知り合って、一緒に劇団作ろうとかいって数年間は仲良くやってたんだろうね。でもそのうち、ヒカルには余りある才能と人望があり、彼にはないことに気づいた。そんで、いじいじ逆恨みしてなんかやらかしたと。
小さい。(←単刀直入!)
奸計をはりめぐらすなら、もっと上手くやってくれ(ど、どっちを応援してんだよ?!)
ジャ○ーさんて、こういう単純な善悪の話、好きだよね。でもね、人間てそんな単純なもんじゃないんじゃないの?
まぁ、今ちゃん(今拓哉)がリーダーを演った時みたいな破綻した設定(彼は人間じゃなかったからな、なんせ)じゃなくなってたことには安心したが。
あれは演じてる今ちゃんが、ほんっと可哀相だったもん。真面目にやってられっか、と投げてもしかたないような設定だったのに、けなげに必死で演じていた今ちゃんを思い出すたび、泣けてくる(T_T)
それはともかく、単なる人間のはずのリーダーは、ピストル自殺したようにみせかけて、その後もちゃんと生きてるんだよね。実体のある人間として、コウイチやナオを撃つわけだから。
でも、シュンスケが自分のところに来ないとなると「さらばだ」とかいってどっかへ消えてしまう。
警察に逮捕させろよ!
あんだけの犯罪おかしてんだぞ。殺人だぞ!(他未遂事件3件)
なんで、ヤツが消えちゃっただけで安心してるんだあんたたちは?!
わけわからん(座長の口癖)
そんで、これも細かいことなんだけど、今回気になったのが、ナオが死に際にコウイチに言うセリフ。
「ありがとう」
何に対して言ってるのか、わからなかった。ずっと。
で、今日よく注意してて思ったのは、コウイチがシュンスケに向かって、「お前だって大事な仲間だ」って言うから、それに対して「ありがとう」なのかな、と思ったり。
でも、ここは本来、
「コウイチ、カズとシュンスケを、お願い」
ではないだろうか。このセリフでナオが死んでいくなら、このシーンのめちゃくちゃさは、ほんのわずかだが緩和するように思うのだが。
というのも、ここでツバサをないがしろにするのが、すごく違和感があるからなのだ。だって実の弟だろ。それとも、姉弟って、そんなもんなの?(だったら、義理の弟なんて、さらに・・・ねぇ? この辺、ジャ○ーの“主役至上主義”がすんごく鼻につく)
だけど、もし最期の言葉が「息子たちをお願い」なのであれば、カンパニーの座長であるコウイチを最後に呼ぶのは理にかなってるのだ。
こういう小さいとこへの神経の使い方が、とにかくなってないのが『SHOCK』の芝居部分の特徴なのだ。
ケチをつけ始めると、止まらない。
今回、ヘンな取引っぽいシーンがなくなって多少ほっとした「著作権云々」の話だが、何度も言うようだが、「著作権」てのは、売ったり買ったりできる性質のものじゃないと思うんですけど。
「自分が作った」っていう証拠があれば、それがその人の著作権なわけで、他人が自分に断りなしに使ってそれによって利益を得ることを防げる権利なわけです。
だから、ヒカルの作った曲の「著作権を売る」なんてことは、まず出来ないの。そうじゃなくて、ヒカルが作ったはずの曲が、誰か他人が作ったことになっちゃってて、コウイチたちがショーで使ったら、莫大な「使用料」を請求された、っていう前回までの話の方が、筋は通ってる。
でも、前回の例のシーン、ひじょーに冗漫だったし、最後に一反もめん(え?)が飛んでく終わり方も、何の解決にもなってなかったので、これは今回のでいいかな。でも、法律上は全然正しくないですよ、とだけ言っとこう。
「ショーマスト、ゴー、オン!」
うひゃ〜、座長の決めゼリフに大ツッコミです(≧∇≦)
あのー、これも何度も言いますが、あんだけ派手にセットぶっこわしといて、
「観客には何事もなかったように思わせ」られるわけないっしょ!(爆)
で、セットが壊れるほどすんげー座長の筋力ですが(いや〜、つっこむつっこむ)、あれ? 解決シーンでは「ロープが鋭い刃物で」切られてたんだよね。そんなら、セットに激突するより先に、まっさかさまに落下するのが自然なのでは?(むろん、そんな演出は、現実にはしてほしくございません)
そして座長、ナイフで簡単に切れてしまうロープなんて、やわなものでフライングするのはおよしになって。
ちゃんと帝劇仕様の(笑)スチール製のワイヤーにしてくださいね〜(オホホホ)
バイク事故の謎
あ、何か、だんだん変なタイトルがつくようになってきてる・・・。
ホントどうして同じ高さから落ちて、ツバサは半死半生、コウイチはかすり傷なんでしょうか。
やらっちじゃなくても、疑ってしまいます(きつっ!)
あれ「橋」でしょ? 川に落ちたわけさね。だから、コウイチは深いとこにドブンと落ちてかすり傷、ツバサは運悪く、河原の石の上だった、てことで自分を納得させますよ。ええ、それしかないもんね(投げやりだなぁ、もう)
コウイチもちょっとは怪我したって設定にしてもいいと思うよ。
怪我したけどその晩のショーを開けたと(この辺、ちょっと『嵐を呼ぶ男』テイストを入れてもいいよ、ジャ○ーさん/笑)
それを見かねて、アッキーやマーチンが率先して戻ってきたと。
それでいいじゃない。
あ、このシーンね。ぼくほんと今回、好き。
光一さんのオーバーアクションは何とかしてほしいけど(きゃっ、毒)
やらっちが、「本当は納得してないんだかんな」って顔するところも、大好きv
こういうところを見ただけでも、今回のカンパニー、さいこーだと思ってしまう。
それでも何か、事故の発生までの流れにあるムリヤリっぽさは払拭できないね。
ただ、今回はほんとに、
「カンパニーの誰かがある不幸によって取り残され、心に傷を負ってしまう。それによる団員たちの分裂。しかし、最初は誰にも理解されなかったコウイチの誠意と強い意志が、最終的にカンパニーの結束力を強める」
というこの作品の主軸を、前回までよりもずっと納得できる流れにしていた。そこの手柄は認める。
特に、アッキー演じるアキヤマ(ややこしい/笑)の“コウイチを信じてる”→“ついてくよ”→“でも、今のツバサには励ましが必要なんじゃないか”→“誰もがコウイチみたいに強くはないんだから”→“見損なったよ”的流れが、最高でしたね。
ぼく思うに、アッキーと風ぽんの芝居は、まじ上手い。あの、ちゃんと“舞台芝居”になってる。ちょっとオーバーアクションに見えるけど、わざとらしいギリギリのところで止まってる。しかも、ナチュラルすぎて後ろの客席まで届かない“テレビ芝居”では決してない。
風ぽんに至っては、このカンパニー随一ではないかとさえ思う。
だって、(話は戻るけど)運びのムチャクチャさであんぐりの、リーダーの正体が知れるシーン、風ぽんだけが納得できる芝居してる。あんだけありえない状況の中で絶叫セリフであるにもかかわらず、
「そっちの愛の方がいいよ!」
っていうシュンスケの叫びは毎度胸を打ちます。
ヒカルの実の弟のコウイチ、ヒカルの血を引くカズ、ナオの実弟であるツバサと違って、自分は唯一、卑怯者の父親側の人間だ、というシュンスケの苦悩を、こんだけはちゃめちゃな流れの中で観客に納得させるには、風ぽんの演技力がなければ成立しなかった。まじでそう思う。
ところで、ここまで書いてふと思い出したのだが、この『SHOCK』という作品、初演は言わずと知れた少年隊の「PLAYZONE'91」ですね。この作品、実はぼくが初めてナマで観たプレゾン(それまでの作品はビデオのみ)だったんです(『MASK』は日生劇場の再演バージョンしか観てない)
その時のストーリーを、実はよく覚えてない(劇中劇の『ハムレット』と『白鯨』だけはよく覚えてる)★訂正★『ハムレット』は『MASK』の劇中劇でした。そしてその部分を「蜷川幸雄が演出した」ってのを、すんごく、すんごく、ウリにしてました当時。ニナガワさん本人の声まで流しちゃって。ほんと、ジャ○ーらしいでしょ?(←毒だらけ)
「3分に1度の衝撃!」とかいうふれこみはこの時からあって、観に行って思ったのは、
ということでした(笑)そういえば、バイク事故はこの時からあったかな。
あと『白鯨』で、船長役のニシキがやたら“あっちの世界の人”に見えたことが、乙女心(は?)に強烈でした(^^ゞ
ただね、確実に言えることは、当時のプレゾンの主題はこれただ一つだった。
「少年隊は、この3人でしか成り立たないんだ。2人でも4人でもダメ。そして他の誰かが入れ替わってもダメ」
ね、タダレ心くすぐりまくりでしょ?(オイ)
必ずこういう結論で終わるもんだから、もーオトメたちのハートわしづかみだったわけですよ。
なので、最初光一さんひとりで『MASK』をやると聞いたとき、一体どんな話になるんだ?! だいたい、一番大切な主題「ユニット内絆の大切さ」を、KinKi Kidsとして出演しないで、どうやって表現するんだ? と、とても不可解でした。
結局『MASK』は観られなかったから、一体どういう主題だったのか未だに分からないんだけども。
(ヒデちゃん版は観たけど、やはり違和感があった。ヒデちゃんと原パパとアッキーの3人でデビューが決まってるっていう設定にすんごいムリがあったから。この3人で“少年隊並み”の「絆力」を見せろって言われてもね・・・。結果として、ヒデちゃんの高美少年度ぶりで押し切ってしまったのだったが。井ノ坂岡ち組は、どういう『MASK』だったんだろうねー?)
『MILLENNIUM SHOCK』の時は、ノリユキ&コウイチ→コウイチ&ツバサへと流れる「ショービジネスへの夢の継承」がメインテーマになってた。
ヒガシと光一さんがペアになって踊るシーンは、長年のジャニオタの夢が叶った名シーンだった。心底、「ジャニオタやってて良かった」と思った。
そして、そのペアが、光一さんとつばっちゃのペアに変わっていくシーンで、まじうるうるきたっけ(思い出浸り中)
思い出話はともかく、現状の『SHOCK』の主題って、何なんだろう?
多分、「夢を追い続けること、仲間の大切さ」だと思うんだけど、それを表現するための材料として、現状のストーリーは役に立ってるのかな? ただ「3分に1回、誰かが高いとこから落ちる」だけのためにこじつけてんじゃないの? と思ってしまった瞬間から、もうどーにもこーにもまこっちゃん割り切れなくなるわけで。
再演もけっこうですけど、まず、初心に戻って「本当にこのストーリーでいいのか」っていうところから考え直してほしいですねー。
ぼくが『MILLENNIUM SHOCK』でもひとつ好きだったところは、リーダーがアクマでもいじけ人間でもなくて(演じたのは篠井英介さん)、未亡人になった後ずっと独りだった姉さん(鈴木ほのかちゃん)をずっと陰から支えてて、最後に二人が再婚するっていう流れにしたとこ。
このときに劇中劇でコウイチが演じたのがハムレットで、父の死後にすぐ再婚しちゃった母を責めるファザコンハムレット(実際、ハムレットはファザコン男の代名詞なり/笑)を演じているコウイチが、兄の妻だった人の再婚を心から祝福するという流れに、なんか、ぐっときたんだった。
そう! 現状の『SHOCK』では、姉さんの再婚、早すぎんのよ!(苦言)
それこそハムレットの心境でしょうなコウイチは。
劇中劇で『ハムレット』をやる意味さえ、消滅しちゃってるんだもんな今回。
やるならガートルードをイオリ、クローディアスを尾藤さんがやるべきなんだよな(前はガートルードをじゅりぴょんがやってたよね?)
何のためにそのシーンがあるのか、っていうことがどんどん意味不明になってきちゃってるのは、由々しきことだと思います。
とりあえず『SHOCK』っていう作品は、「3分に1回ビックリするようなことが起こる」っていう基本を押さえとけば、全然違ったストーリーでもいいんだよね。
誰か、書けば?(無責任!)
『キンキラキンキワールド』は、先週の予告どおり、くりぃむしちゅーがつよっさんソロの場にゲスト出演。
らしい。(ん?)
なんで「らしい」なのかというと、まだ留守録MDを聴いてないから。
『SHOCK』終演が9時半なので、ダッシュで帰れば聴けたのだが、結局寄り道してしまった。
このラジオについては、とりあえず今週中に追加します。
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