「思考」...rainman

 

 

未来からの応答 - 2006年04月07日(金)



ある誠実な老人が言った。
「私は間違っているのでしょうか」と。
人生をかけて人間の幸せのためにと、
行動してきた人だった。
その声は震え、涙に頬は濡れていた。

「間違いであるはずがない」と、私は叫びたかった。
人のために良かれと思い生きてきた人に、
貴方は正しいと、心の底から言ってあげたい。

正しかったというわけではない。
貴方は正しいのだ。
過ちを過ちとして受け止め、
狂ったように流れる人の流れに一石を投じ、
ほんの僅かでも過ちを正そうと、
老いた体に鞭打ち、今でも懸命に働いているのだから。

心無い人たちは言う、「結果を見たまえ」と。
勇気を失った人たちが言う、「諦めるしかない」と。
恐怖に震える人たちは、ああ、もう考えることができない。
自分さえ持たない人たちが続けた、「仕方ないじゃないか」と。

老人は、繰り返し訴えてきた。
向かえる明日には、過ちを犯さないがために。
小さな笑顔のために。互いの幸せのために。

言葉は、堅い。
時には身近なものを傷つけ、遠くには届かない。
けれども他に何ができよう。
正しいと思えることを口にし、
ぶつかりぶつけ傷つき傷つけながら、
私たちは生きるしかないではないか。
そうやって一から始めて学んで行くしかないではないか。
人間の全てがそうやってきたではないか。

誰もが幸せを求めて生きるのであれば、
それを誰が間違っていると言えるのだろうか。
全てが終わることの無い途中である時、
誰が結果を知らしめられるであろうか。
けれども、歴然としているではないか。
終わることのない途中であることが。
輪廻の中で喜びを求めることが。

過ちに学び、今日を知り、未来に望む。
ああ、今、貴方は正しい。
明日の貴方が振り返り、昨日の貴方を励ましてくれ。
貴方の過ちこそが、貴方を未来へと導いている。
今日の貴方の正しさが、私の足元を照らしている。
私の過ちである貴方が、今日の私となる。
未来は、私たちのものだ!

老人は泣きながら問うた。
「私は間違っているのでしょうか」と。
未来は笑顔でもって応えるだろう。
「貴方は正しかった」と。




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