Robin's Nest

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日々思ったことを徒然と。
ワーキングホリデーを使ってニュージーランドへ行きます。
ここにも準備の様子など書きますが、別でBLOGを立ち上げました。こちらを優先的に書いていきます。 ワーホリについてはこちらをご覧ください。
『わちログ=NZワーホリ紀行=

 2003年10月09日(木) 風の歌を聴け / アサガオ / 文章を書くと言うこと
■風の歌を聴け
アンダーグラウンド読み終わりました。というより読むのやめちゃいました。わかっていたことなんだけど、ずっと重い話が続きすぎて続き読めなくなっちゃった。被害者の方々、インタビューに答えた方々がこの文章を読んだら「気分悪!」って思うかもしれないけど、話も単調で…。どれも違う話だけど同じ話って言えば同じ話なんだよね。
と言うわけで、昨日から同じ村上春樹の「風の歌を聴け」を読み始めて、今日から「1973年のピンボール」を読み始めた。村上春樹の小説って何度も読み返しているけど、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」はあまり読んでいない。一番最初に村上春樹の小説を片っ端から読み始めたときも一番最後の2作品だった気がする。別に嫌いじゃなんだけどね。なぜか他のもっと好きな作品を先に読んでしまう。

○風の歌を聴け
この小説を読むといつも「不思議だな」って感じる。思うんじゃなくて感じる。こんな文章を書いている人に村上春樹も言われたくないと思うだろうけど、あんまり文章は上手じゃない。書いてあることもけっこうバラバラだし。それでも何か惹きつけるものがあって今でも読んでいる。きっと賛否両論な作品だったんじゃないかな。
村上春樹の小説を良く読む人ならわかると思うが、小説の中でよく「井戸」が出てくる。この「風の歌を聴け」の中にも「井戸」はやっぱり出てくる。
ある青年が火星にある井戸へ潜り地上に出たときには15億年時間が経っているという話。それについて僕自身は特別なメッセージを読みとることができなかったんだけど、「井戸」は最初から村上春樹の小説に登場している。


■アサガオ
前にも日記に書いたかもしれないが。
今年の冬、マンションの入り口にアサガオの種をまいた。近所を散歩していたときに見つけたアサガオから種を取って家の前にまいた。その花が夏咲いて、そろそろ収穫だと思っていた矢先にマンションの清掃の人たちに刈られてしまった。来年はマンションの周りをアサガオだらけにしてやろうと計画していたのに。


■文章を書くと言うこと
自分の文章を読み返してみる。そうすると書いているときには気が付かなかったようなことにたくさん気が付く。誤字脱字だったり意味不明だったり。きっと今日、今書いている文章だってあとから読んだら意味不明なのかもしれない。当たり前の話かもしれないけど、これだけずっと文章を書いていても、文章がうまくなることはない。
うまくなるためには自分の書いた文章を見つめ直して、何度も何度も書き直しをしなくてはいけないと思っている。磨きをかけるっていうのかな、煮詰めるっていうのかな。でも、僕が今書いている文章は垂れ流し。一度書いたら書き直すことのない文章。だから、意味不明で当たり前なのかもしれない。それと人の文章から書き方を学ぶということもしていない。自分の世界で完結している。
僕は今、文章を書いている。それは誰のためでもなく自分のために。と、思いこんでいる。それだって本当はどこまでが自分のためでどこまでが読んでくれている人たちのためなのかわからない。読んでくれている人たちがどんな文書を期待しているのかなんてわからない。そもそも期待なんてしていないと思う。それでも、僕は文章を書いている。


くろ
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