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1985年06月04日(火) q

861 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 13:46

万教帰一を唱えているとこ同士が帰一しないのでは説得力無し



862 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 17:25

万教帰一を唱えているとこでは帰一させることはできないな。
そもそもそいつらはよそから相手にされてないという大きな
障害がある(大笑



863 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 19:18

>>854
世界からのご意見ありがとう。ひどいもんだね。
元崇教組み手としては、辞めた時は「崇教は××」「世界は×」くらいのイメージ
だったけど、今はどっちも「×××××」っていう気がしてるよ。

>>855
盲信組み手時代のことなのでね。(笑)



864 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 20:21

真光は御神体である御親真光大御神が神道の天之御中主、仏教の梵天、ユダヤ教のヤハエ、イスラム教のアラーと言い切ってしまっているので結局言ったもの勝ちである。万教帰一を唱えるだけの根拠はない。



865 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 20:27

思想的に真光には信仰できる材料に乏しい、ただ手かざしが病気を治すことが時々あるというだけで信者がついて来ているのだと思う。治らなければ何の意味もない



866 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 23:30

>>865

病気治しをどうみるか、は別にしても
恒常的でない体験が信仰のモチベーションを
高めてるのはあきらかでしょうな。
ただし、質的にそれが信仰といえるかといえば
それは否。哀しい集団です。



867 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/18 23:43

>>864

万教帰一や万教同根説には普遍的真理の説明が不可欠です。
岡田光玉では荷が重すぎたのでしょう(笑)



868 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/19 01:12

十年以上前、伯母に強引に勧誘されて、三人きょうだいで入信した。両親は
良い顔はしなかったが、つきあいと思ったのか、止めはしなかった。
私は末っ子で当時は小学生。上の二人は中学生。

道場に通い、揃って組み手になったものの、親が組み手でなく、貧乏だった
私たちには、普段はともかく、行事の時などは「見えない壁」があった。
伯母は「宗教ジプシー」のような人だった。道場長とケンカして辞め、別の
宗教に入った。うちの長女はそれに従い、下の二人はそのまま残り、一時は
家庭内で宗教戦争状態。道場での空気は、私たちには余計に冷たくなった。

その引け目を解消しようとしたのか、2番目は真光隊とやらに入隊したが、
あまりに偽善的な幹部や同世代の二世組み手たちの二枚舌に傷ついて、
ボロボロになってやめた。私も小学校〜中学校で友人に手かざしなどして、
教師に注意を受けた。自分でも「馬鹿らしいなぁ」と思い始めた。
やがて二人とも真光を離れた。おみたまとやらはゴミ箱に叩き込んだ。
もう宗教になど近づかないでおこう、と二人で話し合った。

長じて、真光のいうところは他の宗教団体のパクリだとか、さまざまな情報を
知ることで、わずかに残る幻想も解けた。子供の視野の狭さと純真さを思うと
かつての自分が気の毒にさえ思える。

伯母は宗教を転々としたあげく、何の救いも得られないまま、ガンで死んだ。
年端もいかない子供たちに「素晴らしい宗教」を説いてまわった、その終わり。
救ってあげなければという思い上がった考え方で、兄弟仲を壊してくれたわけ。
長女は嫁ぎ、義母に合わせてまた別の団体に入ったが、娘は中学で家出し
行方知れず。というのも、善人面して実は無能なだけの母親を嫌ったから。

二枚舌や偽善、善人面での冷酷さや親の七光り、家族内での差別などなど、
世の中の一面を早いうちに教えてくれてありがとう、真光!
宗教に名を借りた責任転嫁や依存や現実逃避は、何も解決しないとよくわかる。
おかげで下の二人は問題なく暮らしてます。






869 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/19 09:34

生の声、体験談ありがとう..



870 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/19 10:27

ある時、お主枝和人とご奉仕の打ち合わせをした。人手のなさに思わずため息を
ついたら「ため息をつくと曇りを積む」といわれた。驚いて「そうなんですか?」と
聞き返したら「そうだ」といわれた。陰の気だからいけないということだった。
なんだか、おかしいと思った。自然な感情が起こることを、止めるのか?
人は浄まって神性化していったら、いずれは喜びの思いばかりになり、
それが本来あるべき姿という教えはあったが、自然に起こった、今ある感情を
「曇りを積む」といって否定するのはどうかと思った。

それ以前に、心理学の本だった筈だが、こんな話を読んでいた。
海外にクラウン(道化師)の養成学校があり、訓練項目のひとつに「心のなかである
感情を強く起こし、同時にその感情とまったく違う表情をする」というのがある
そうだ。たとえば「心のなかで強烈に怒りの感情を起こし、同時に顔で悲しみの
表情を作る」ということだね。これにより、決まって1学期のうちに何人かは
ノイローゼになってやめていくという。思っていることと違う表情をつくるのは、
心の健康に悪いということだね。

これを知っていたせいもあり、お主枝和人の言葉に「?」となったんだな。
それでも、結構「陽の気でいろ」「嬉しいことがあって喜んで当然、つらい時に
こそ感謝、笑顔」に引きずられて感情面がおかしくなっていたけどさ。
喜怒哀楽は人の感情の基本だろ。どうして感謝、喜び以外のものを否定するんだ。
曇りを積むから? それを口実に人の判断力、批判力を奪っているんじゃないのか。

真光・・・ノイローゼ患者養成所か?


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