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1984年10月29日(月)

321 名前: 元真光隊(聴障) 投稿日: 2001/06/17(日) 02:04

今月の土日は予定が満杯なので道場には行けません。来月早々に行こうと思い連絡したら
7日はどうも月始祭で道場長は参拝するらしく返納に行けません(涙)
真光隊の制服も返却しようと思ってるんですけど。あ〜、本もいらない。。。
やれやれ。。。。



322 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/17(日) 12:15

>>320

なんだかきみは、俺の言ってることが解かってるのか
解かってないのか、よく解からんね(笑

まず、きみは「信仰」という言葉を取り違えてるぞ。

>自分自信がやってみない事には、
>自分自信で判断する事は出来ない。
>そういう姿勢そのものが、信仰の世界

これは信仰の世界とは言わない。
「やってみないことには解からない」状況は
信仰とは言えず、いまだ迷走世界にいることを指す。
何度も言うが、信仰とは没我して信順・随順する世界だよ。
没我して随順する以上、めあてとするものに対して慎重に徹底的な確認
を取るべきであって、それにはおのれの五官をフルに使い、智慧を使う
べきだと俺は言いたいのよ。
裏を返せば自分を守るということにおいて、そういう前段努力と慎重さを
欠くような安易な入信、"犬も歩けば棒に当たる"的な入信のしかたを
してはいけない、っちゅうことだ。



323 名前: a 投稿日: 2001/06/17(日) 17:58

だから、考え方が違うんですよ。
僕なりに言いたい事は分かっているつもりです。
冷静な目を持つと言う事は大切な事でしょう。
しかし、信仰に対して真偽をとうと言う姿勢はどうかと思うのです。
これは極論ですけどね、あくまでも。

今日たまたま知り合いから聞いた話なんですが、
自分がある信仰を始めて、それに習って先祖供養をした。
ところが今までお世話になっていたお寺から反発されてしまった。
そこで、同じ坊さんでももっと博識があると言う方に正直に相談すると、
「あんた、宗教をやるって言う事は命がけだよ。自分が良いと思ったら、
誰がなんと言おうとやれば良いじゃ無いか。」
と言われたそうです。
この意味分かりますか?



324 名前: 九州男児 投稿日: 2001/06/17(日) 23:41

あのぅ〜辞める方、支援される方、沢山いらっしゃって・・まぁ覚悟の行動でしょう
から、新天地でのご活躍をお祈りいたします。

>>323 同意しますよ。この国に「信仰」の自由がある限り真偽を問う必要はない・・・
その必要は無いのかもしれませんが、見るな・聞くながこの教団の中に潜んでいるような
部分があり、何か物騒な方向は向かうような予感があるので、ここで皆さんとその状況
を見守り、考えてます。だから、どんな事象があってもそれは捉える人の自由。
でも、何にも断定してはならないこともはっきりしています。
私は、今の真光に対してはおかしいし、違った方向に行っているような気持ちもあります。
でも言われるように、やるからには「命がけ」なのです。それは自分が神様に対してであり
幹部や組み手に対してではありません。カルトや精神異常と呼ばれる「真光」ですが
全てがそうであろうか?宗教とはそういうものなのか? はっきり ”そうだ”といえる
程の人生の達人はいるでしょうか? 私はあなたの意見に近い人間です。



325 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/18(月) 01:07

>>323

俺が言ってるのは、信仰を持つ前の段階のことだ。
信仰を持ったら最後、突っ走るしるしかないんだ。
しかし、全ての宗教が同等をもってその信仰の方角が正しい、
と言いがたいのはきみにだって理解できるだろ。

きみ自身、その坊さんの話を引き合いに出すなら、
これにならって話そう。。
人生に対しプラスアルファを宗教に期待するという
考え方がある。生活の為の補強材や調味料としての信仰。
生活の中に信仰を持つという捉え方だ。。
これは人間を樹木にたとえるなら、外見の枝を立派にし、
なんとかきれいな花を咲かせよう、という考え方だ。
悪いとは言わないが、しかし、本当の宗教というのはそんなもんじゃない。
枝葉や果実の以前に、人間という存在の根幹もしくは樹木そのものを問うの
が宗教なんだよ。
つまり、信仰は生活の中にあるものではなく、信仰の中に生活があるんだ。
だから信仰というのはあった方がいいというなまやさしいものではなく、
きみがAという宗教を選び信仰(没我)したら最後、それを体現しなければ
ならない原則や義務が同時に伴うわけだよ。((これは出家主義-在家主義の話とは違う))
それだけむちゃくちゃな前提を要求される「宗教」、一歩間違えたら
社会から糾弾制裁されるやもしれない社会行動を隆起させる「宗教」というもの
を選ぶ局面で、個人の能力差は別においてその信仰の方向が間違っているかいない
かの判断に最大限の努力を払うべきだと言ってるんだよ。。
俺が指した「信仰の真偽を問え」というのはそういう意味だ。
その上で正しいと判断すれば没我し信仰するしかない。



326 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/18(月) 01:29

>>324

>この国に「信仰」の自由がある限り真偽を問う必要はない・・・

これは一体どういう意味だ?
犯罪や社会問題を引き起こしている宗教にも「信仰」は存在する。
おのれの宗教に執するがゆえの結果であれば、その信仰の方向に誤りが
あったときみは感じなかったのかい?
「自由だから信仰の真偽を問う必要はない」というのはおかしいぞ。



327 名前: 元真光隊 投稿日: 2001/06/18(月) 02:04

>この国に「信仰」の自由がある限り真偽を問う必要はない・・・

私もコレ理解できない。
私は、信じることと疑わないことは別だと思っています。
疑わないってのは何も考えてない、自分のあたまで
考えてないんですよ。

信じ始めから完全に信じ切るまでの間は、揺れて当然
だと思うし、宗教と名の付くもののすべてが善良で、
自分に合っているとは限らないし。

この国では宗教は気軽に選ぶものだと思いますよ。
日本自体が宗教チャンポンの国だし、何かを行動基準に
するなんて無理だと思う。良い悪いはおいといて。

宗教は道徳教育や不安の軽減、目指すべき方向を
指してくれる上で絶大な利点があります。
それと同じだけのデメリットもあると思います。
ただ私は、トリックのばれたマジックを楽しむことが
できないのです。



328 名前: a 投稿日: 2001/06/18(月) 04:00

>>325
それ、カルトだよ。
カルトは信仰=宗教と違う。



329 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/18(月) 07:30

>>328

何をバカなこと言ってるんだ?(笑

きみは >>323 で
>「あんた、宗教をやるって言う事は命がけだよ。自分が良いと思ったら、
>誰がなんと言おうとやれば良いじゃ無いか。」
>と言われたそうです。
>この意味分かりますか?

こんなことを言ってるんだぞ。
いかに宗教や信仰を持つということが生半可なことでは
ない、ということをいくぶんなりともきみは理解してる
から、その坊主の話を引き合いに出してきたんだと
俺は期待したんだがねぇ。。

その挙句に、
>それ、カルトだよ。
>カルトは信仰=宗教と違う。

かい(笑
その坊主の話を理解してないのは、きみ自身じゃないのかな?



330 名前: a 投稿日: 2001/06/18(月) 09:08

うーん。
話が噛み合わないですねぇ。
まぁともかく、
この板は「世界〜」についてですから、
これ以上この議論でご迷惑かけるのも悪いので、
できるだけこれで最後にしたいと思います。

僕が言いたい事と、あなたの意見とを通じて、
もう一度考え直しますけれども、
>>325のあなたの例えで言うと、
僕の考えは前者の方に近いですよ。
信仰が合って生活があるんじゃ無くて、
生活が合って信仰があるのですよ。
真光で言えば、生活即神向と言う事ですが、
思い込んで没頭する事が信仰だなんて誰がきめたの?
それからあなたは信仰を真剣に志した事はありますか?
命がけで信仰すると言う事は、
犯罪を犯して良いと言う事と全然違いますよ。
信仰者をバカにしてませんか?



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