repe
DiaryINDEXpastwill


1984年10月27日(土)

341 名前: 卒隊者 投稿日: 2001/06/18(月) 13:32

>>340
そろそろ組織の存在意義を考え直す時期に来ているのではないでしょうか?
1.本来のあり方、
2.実態との解離、
3.上記1.2.を把握した上で、今後の方向性の検討。
といったことが。



342 名前: 元真光隊(聴障) 投稿日: 2001/06/18(月) 16:34

>確かに元真光隊(聴障)さんがされた事は、やってはいけない様な話です。
>しかし、こういう事はおそらくどんな団体でもある話じゃ無いでしょうか?
どこでもありますよ。一般的に見て障害者(目、耳含む)はどっかしら一歩引いた
目で見られますもん。どう接したらいいか分からない、とか。
でも、それを仮にも利他愛を掲げている真光でやっちゃまずいでしょう?
それともどんな団体でもあるから、真光だけ責めるのは違うとでも言いたいのでしょうか。
確かに神対自分ですけど、現実で関わるのは人間です。
社会でも、実際会社ですけどやはり聞こえない私と接する時はとまどいもありますが
次第に筆談したり、分かりやすいように口話で話してくれるようになります。
でも真光はそういう人がホントに少ない。神を神向しているだけでいいと思っている
ならそこに病理があるのでは?
いや、もういいわ。
おかしいなーと思ってる人がいるってだけでここでこうして意見述べあえる人が
いるだけで真光は変わるかもしれませんね。
一般常識と良識を持つと言うことの重要さを勉強させていただきました。
みなさん、ありがとうございました。



343 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/18(月) 18:31

>>330

随分進んだな。。あとでゆっくり読ませてもらおう。
俺もきみとのこの話は、これで最後にしたいがね(笑

>>325のあなたの例えで言うと、僕の考えは前者の方に近いですよ。
>>信仰が合って生活があるんじゃ無くて、生活が合って信仰があるのですよ。

結構じゃないか。生活の中に信仰があって。
だから悪いとは言ってないだろ?(笑
しかしホンモノの信仰じゃない。

>真光で言えば、生活即神向と言う事ですが、思い込んで没頭する事が
>信仰だなんて誰がきめたの?

もっと単純に言えば、ただひたすら信じる作業が「信仰」だよ。神仏との信頼関係云々とか、目に見えぬものを云々とか、帰依するための
云々とかいうものは、各宗各派のモチベーションがそこにあるからだろう。それが理に叶ったものかどうかは別にして、共通していえる事は没我して
信じきることを最後に要求してるんだよ。
それに反するというのであれば、まぁ、疑いながら「信仰」の真似事をすると
いうのも、真光のようなモンと付き合うには丁度いいのかもしれないなぁ(笑

>命がけで信仰すると言う事は、犯罪を犯して良いと言う事と
>全然違いますよ。信仰者をバカにしてませんか?

俺はそんなことは言ったつもりはないぜ。信仰者をバカになんかもしていないぞ。
「信仰の方角」にあきらかに誤りがあるものに人が集まり犯罪を犯したり、
一部の大衆をかどわかしたりした宗教が現実にあったということだ。
それがカルトと呼ばれるものであろうなかろうとそこには「信仰」の姿が
あったはずだ。そういう危険な宗教、犯罪に結びつくような宗教も中には
あるから、信仰の対象にするか、否か、については十分な確認を取れと言っ
てるんだ。



344 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/06/18(月) 18:33

>>330
俺のほうから、最後にきみに問いたいのは「命がけの−」についてだ。
きみのほうから、>>323で坊さんの「命がけ」という文言を
投げかけてきた。俺は「信仰が没我」であることからその危険性、
ある意味命がけであるということに関して共感をおぼえ、書いてきたつもりだ。
しかし、自分で出しておきながら、きみ自身は「命がけの宗教/信仰」に
ついては何も触れてないぞ。肯定も否定もしていない。
おそらく提示してきた以上、きみは肯定的にそれを使ったのだろうが。。
「生活の中に信仰をおく」というきみに、なぜ宗教や信仰というものが
「命がけ」なのか、最後にご教示願いたい。



345 名前: 九州男児 投稿日: 2001/06/18(月) 23:55

>>337 こんばんは。本山での会議等でもそのような傾向があるとは・・・・
ローカルな道場においてならあり得ることでしょう。しかし中枢に近い所がねぇ・・
確かに、>>338 でおっしゃりたい事も分かります。しかし、回答にはなってないと
いうか・・でも難しい問題。>そこで必要なものを与えられているととらえるのも、
神向の世界じゃ無いでしょうか?
↑確かに、そう捉えることは必要でしょうが、我々はその言葉を逃げ場にしてはいない
でしょうか?どうも、その「言葉」が物事を覆い隠すための借り物の言葉に思えてならない
のです。その矛盾に皆が気付いていながら、そこに逃げ場を求めている。求めて安心して
いる。それでは進まないのではないでしょうか?貴方は幹部なのですか?その他の幹部は
その事実に気付いてますか?それとも盲信状態ですか?




346 名前: a 投稿日: 2001/06/18(月) 23:58

>>341
>1.本来のあり方、
>2.実態との解離、
>3.上記1.2.を把握した上で、今後の方向性の検討。

本来のあり方としては、
組織というのは目的を達成するための道具であり、
手段だと思うんですよね。
だから真光という組織が、
その掲げている理想に向かっていくためには、
やはり常に組織が新しいものへ、その時の状況に応じて変化する。
もちろん根本的な基本姿勢=神向の部分はかわらないのですが、
努力を積み重ねていく事によって、
より素晴らしい組織へ変化するのが望ましいでしょう。
それには、2の部分も入っているし、
3という事になる訳ですけれど、
完璧なものは最初からありませんから、
もちろん教えの部分(神示、神向?)はかわらないのですが、
それを実践していくにあたっては、
どんどんそれを追求していくという事ですから、
教団自体が成長していく事なんじゃ無いでしょうか?
それを実現するためには、組織の人間に頼っているだけでは無理です。
やはり意識を持つ人が一人でも多くなれば、必ず革命は出来ると思うのです。
ですから、その団体に帰依する以上、極端な話みんな同等という事も言えるのでは。
全は個の教えです。とまぁ抽象的で、分かり切っている事だと思いますが。具体的にはね。



347 名前: 九州男児 投稿日: 2001/06/19(火) 00:12

それと、最近の素朴な疑問。最近の恢弘は、何で数字にこだわるのでしょうか?
研修会の御み霊申請数ばかりを口にされます。(←うちの道場だけだろうか?)
それと並行して、霊保数の事。もっと昔は、まず恢弘を行えるだけの人作りを
してたと思います。確かに神様が急がれているという事を耳にします。
しかし、それだけではないような・・・最近はウチの道場なんて突然の道場運営費
のご奉納が千円UP! なんなのでしょう? 打ち上げ花火のような百名研修会。
育てられるのでしょうか?新組み手を・・その2ヵ月後には八十名研修!拠点の
組み手さんは相当な重圧を感じています。それと、崇教の真光隊にそろそろ許される
であろう「青年会館」の建設。これなんか必要なのでしょうか?あ〜疑問だぁ!



348 名前: a 投稿日: 2001/06/19(火) 00:41

>>342
神を想っていればそれで良いという事ではありません。
霊主心従体属ですから、心だって体だって、大切な要素です。
ただ、主体がというだけの話。
ですからギャップに苦しんでいるのはきっと自分達なんですよね。
極端な方法しか提示できないというか、、、。
ごく当たり前の思いやりを持てる余裕が無いのかも知れません。
それができるようにならなければ、そりゃおかしいと思いますよ。
結局上の名無しさんがいっているような、極端なカルト的信仰というか、
寄らしむべし知らしむべからずの、古い信仰が染み付いているんですよね。
改善策としては、上に書いたように訳が分かりませんが、こうすべきだという、
朧げながら見えてくるものはあって、それを具体化するにはどうすれば良いか?
まぁこの繰り返しだと思います。
ぼくは元真光隊(聴障) さんには、同じ真光の団体のバカンブとして、つらいです。
あなたが受けた仕打ちはあなたしか分からないのだと思いますし、
それに対して言葉をかける資格も、今の僕にはありません。
しかし、あなたのように犠牲になった方々に、
本当に詫びる気持ちで素晴らしい団体を作っていきたいと、そういう努力をしたいと思ってます。





349 名前: a 投稿日: 2001/06/19(火) 00:43

それから、名無しさん。
その偉そうな態度、なんとかなりませんか?

それと多分思うんですけど、
あなたは信仰について誤解してるとしか思えません。
あなたは本当に信仰を真剣に志した事がありますか?
「没我」ってそういう意味じゃ無いと思いますよ?
それは単なるマインドコントロールじゃ無いですか?

そういう意味でいえば、
あなたのような方向性で命をかけられちゃうと、
ハッキリいって、危ないです。
僕がいいたいのはそうじゃ無くてね。
僕も未熟ですから解っていないのかも知れませんが、
今いったように例えば教団をよくしようだとか、
組織の改革をしようだとかいう事になると、
半端な努力じゃ出来ないという事ですよ。
ある意味、痛みを伴うし反発勢力もある。
小泉さんじゃ無いけど、
命がけの心境だと思いますよ、あの人も。
だからって、本当に命を失う訳じゃ無い。
究極は、自分を変える事じゃ無いですか?

これで意見が噛み合わない様でしたら、
お互い引きましょう。
それぞれ考え方があり、それに大してどうこういう資格は無いので。

もしよければ、他の方の意見をお聞きしたいところですが。





350 名前: マッキー 投稿日: 2001/06/19(火) 00:52

>確かに元真光隊(聴障)さんがされた事は、やってはいけない様な話です。
>しかし、こういう事はおそらくどんな団体でもある話じゃ無いでしょうか?
この発言って真光という組織を象徴してる、なんとなく。と思っちゃいました。
初級研修のとき、小児まひとかも「実は霊障なんですよ」と
道場長が言ったとき、「お!?かなりの過激な問題発言では…」と
思ったのを思い出したぜ。
あと、導士に同性愛の話をしてたら「あれは、お浄めをすれば治ります。
霊障なんです。人間としてあるまじき姿なんです」と言ってたのを聞いて、それって世間的には
かなり片寄った考え方なんじゃ…?つきつめると、ゲイの人の
アートとかも否定しちゃうぞ、と思いました。私はそういう人が好きだしね。しかし、真光とアートって、ふさわしくないね。光記念館?で、ゲイの芸術はかけないのかな?
それに、今所属してる道場に男ばっかりの「タテの会」って
あるんですが、名前がタテの会って今さら三島由紀夫?かなり時代に
敏感!と思っちゃいました。
こういうやつって、どこの道場でもあるんですか?
それと、組み手で真剣にユダヤ人のフリーメーソンが世界を牛耳ろうと
している、とか言う人がいるんですが、それって本気で言ってるんですか?
もし、本気だったら、かなりイタイです。
ほんと、こわいこわいです(淀川長治ふうに)




repe