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1984年06月14日(木) ※

161 名前: SV 投稿日: 2000/07/16(日) 09:27

93番さんへ

159番より
>差別ですよ。あなた、差別されたんですよ。

差別された原因を考えた時にあのような結論が出たのです。
人は何の理由も無しに人を差別はしないと思います。
何か差別された側の人間にも原因があるから差別をするのだと思います。

>だから、こそ、分かってもらえるために布教してるわけでしょ?
>なら、わかってもらえるよう努力しようって考えるのが普通でしょ?

私も最近までそのように思っておりました。
でも93番さん、外部の人の苦痛はどう考えるのですか?
我々のせいで困ってる人の心を貴方は無視すると言うのですか?
分かり合おうと努力は今まで私も沢山してきました。
でも無理なことの方が多かった。
それは貴方も分かってると思います。
彼らの心を悩み、苦しんでいる心を無視し、布教に励めというのは・・・
私にはもう出来ません・・・
いろいろな意味で我々の教えで楽になる人より苦しむ、
迷惑がかかってる人の方が多い気がします。

>そういう経験していやなおもいしながら、でも、人のことも思いやる
思いやるも何も・・・
思いやっている私自身の存在自体が外部の人にとっては苦痛のようですし・・・

少し書き加えておきますが、私はまだ世界真光文明教団を辞めるつもりは
ありません。理由は前にいろいろ述べた通りです。



162 名前: 私 投稿日: 2000/07/16(日) 16:08

>93さんへ
>少し、熱心な組み手だったら、他のとこのことも調べてますよ。現に
>創価学会員と両立させてるって人もいるらしいし。
>私だって、救世教の分裂教団やらのこと独自にしらべてますしね
>私の知り合いには元真如苑の方もいますしね。
他の宗教といってもそういう新興宗教ばかりを調べるのはなぜでしょうか。
創価学会や真如苑のスレッドを読めば、大体どんなとこか想像できますよね。
既成教団は古い、腐っているなどと考えているかもしれませんが、宗教を学ぶ上ではそういったものを無視して、新興宗教から始めるのはちょっと順序が違うんじゃないですか。



163 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/16(日) 16:57

> 155 SVさんへ

> 115番のハエたたきさんの・・・

かつて私は先輩・友達から“ちゃべ”というニックネームを付けられていました。
なんでも思った通りしゃべってしまう(よくしゃべる)という意味なんですが、
これって方言ですかね。
で、なんでも思ったまんましゃべってしまうものですから、
けっこう他人を怒らせてしまったり、恨みをもたれたり、生意気だって反感を買ったりってことが多いんですよ。
学生時代に某受験に落っこちたことがあるのですが、
合格発表の掲示板の前で、同級生から“ざまぁ〜見ろ”って言われてしまいました。 (;^^)
最近は歳のせいかそんなことも少なくなったと、自分では思っているのですが・・・。 (^^ゞ

115番のレスも、ふざけて、茶化してるようにとられて、叱られるかな?
って思ったんだけど、
説明を読んで、私がイメージしたことを、素直にそのままレスしただけです。

腹が立ったら、そのまま叱ってくださいね。




164 名前: 私 投稿日: 2000/07/16(日) 17:45

つづき
私の知り合いが入院しているときにいろんな宗教の本を読んだというのです。どんなのを読んだか聞くと、大川隆法、高橋信次、出口王仁三郎などという返事。
もっとまともな宗教の本がいくらもあるのに、どうしてそんなものばかり読んだのか不思議になりました。
病気がきっかけで宗教に興味を持つのは大変結構ですが、そんなものばかり読むと別の病気になるような気がします。
創価学会を学ぶのなら、日蓮宗の人の書いた本。真如苑を学ぶのなら、真言宗の人の書いた本。これらをまず読むべきではないでしょうか。
SVさんが霊層界について書かれていましたが、大川も似たようなことを言っています。
霊についての種本はスウェーデンボルグだというのが定説です。スウェーデンボルグが言っているのは、霊の世界では、心の中=外界になる。たとえば荒々しい心の人の世界は荒々しい世界になる。だから、天国に生まれたければよい心を持ちなさいということです。(高橋和夫「スウェーデンボルグの思想」講談社現代新書に書いてあります)
特別変わったことを言っているわけではないようです。
なんにせよ、真似したものを勉強するより、元のものを学んだ方がいいのではないかと思います。またまたお節介ですが。




165 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/16(日) 19:23

>164
創価学会や真如苑の本を薦めるあなたもどうかしてるよ。
どっちも深入りしたらえらいことになるよ。



166 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/16(日) 20:39

>165

> 創価学会を学ぶのなら、日蓮宗の人の書いた本。真如苑を学ぶのなら、真言宗の人の書いた本。

> 創価学会や真如苑の本を薦める

“私”さんの発言の意味が違うでしょう。
創価学会を学ぶのなら、伝統的な日蓮宗から学ぶべきだというのが
“私”さんの発言の趣旨でしょう。
相手の発言の趣旨をきちんと読み取ってからレスを付けるべきです。




167 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/16(日) 21:13

>166
私は165ではないが、日蓮宗の人の書いた本や真言宗の人の書いた
本を読むまではともかく、それを創価学会や真如苑を学ぶ道筋に持っ
ていくのはさすがにまずいという意味で165の意見には賛成。



168 名前: 参考にして下さい!�� 投稿日: 2000/07/17(月) 01:10

「2ちゃんねるなんかじゃ議論が成り立たないから
絶対に公開しない。」との意見もありましたが、
事実を知らない方が圧倒的に多いので長文になりま
すが、事実は事実として知らせるために調査した
ことに多少のコメントを付けて記しておきます。
(知らないこと・知ろうとしないことほど恐いこと
はないと思います。)

崇教眞光の歴史はウソで完全に塗り固められています。
その事実をしっかりと認識せずに、完全に信じ込んでいる人は、
商業主義的教団のためにお金を使い、無為に大切な時間も使って
いて実に可哀相です。
 ちなみに、教団では岡田光玉(本名・良一)初代教え主が、
昭和34年2月27日午前5時、5日間の人事不省から目覚め
「天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。手をかざせ。厳しき
世となるべし。」との神様からの御神示をうけて人類救世に向か
ったと主張しています。また、「崇教」とはこれまでの宗教とは
違い、宗教のもとを説く『人類教』だと強調しています。
 しかし、この岡田光玉教え主はもともと戦後浦和市を中心とした
埼玉県下で世界救世教和光布教所長をしていました。「真光の業」
と呼ぶ手かざしは、要するに世界救世教の手かざしによる浄霊が
ヒントになっています。
 その事実を伏せてきた最大の理由は、「真光の業」は大聖者であ
るイエス、釈迦にしか許されていなかったのに、岡田光玉初代教え
主は許されたと主張するためであります。つまり、自らをイエス、
釈迦と同列に引き上げるために事実を伏せたわけです。
 ついでながら、現在の二代教え主(旧姓・井上甲子)は救い主の
令嬢というよりも、より正確にいえば養女であり、血のつながりは
全くありません。どういういきさつで2人が出会ったかは、長くな
るので今は割愛させてもらいます。(たぶん、組み手自身全くと
言っていいほど事実を知らされていないでしょう。何故、崇教真光の
組み手は、そういうことに疑問を全く感じないのでしょうか?)



169 名前: 参考にして下さい。�� 投稿日: 2000/07/17(月) 01:17

崇教眞光の組み手がつけるバッジ(神紋)にはイスラエル国旗と同じ六亡星の形(教団内部ではカゴメ紋という)が使われていますが、
これも別に神様から示されたわけではありません。世界真光文明教団との抗争で裁判に敗れ分派する時に、(真光文明教団とは昭和57
年に裁判所の調停による和解が成立しています。)「和解成立後、遅滞なく紋章に新たな外縁または台座を付加する等、世界真光文明
教団が現に使用する紋章と識別できるように措置を講ずる。」という一項があったためそうなったわけです。ちなみに、現在高山に
世界総本山が建てられていますが本来は、昭和49年までは伊豆に建てられるはずでした。これも、伊豆の本山建設予定地が真光文明教団
側に所有権が移ったために急遽そのようになったわけです。
 崇教眞光では「天越根中日玉国、高山の地にご建立せよ」という重大なる御神示によるものだと主張しています。初代教え主がなぜ
それだけ重要なことを、紙の端切れに走り書きで書いたのでしょうか?私ならば大切なことは走り書きなどではなく、しっかりとした紙に
もっと丁寧な文字でメモします。



170 名前: 参考にして下さい。�� 投稿日: 2000/07/17(月) 01:28

岐阜県高山周辺には崇教眞光の大規模な教団施設がぞくぞくと建設されています。昭和59年11月元主晃大神宮(世界総本山)建立、
平成4年6月晃神殿(初代教え主のお墓)建設、そして、平成11年には顕彰記念館(初代教え主の業績をたたえる博物館)までOPEN
しました。
 顕彰記念館には、有名な人間国宝(東山魁夷など)の作品や能舞台、なぜか恐竜のイミテーションまであります。
 芸術作品を金の力を背景に収集することがはたして宗教団体が本来するべき仕事でしょうか?絵画鑑賞をするならば一般の美術館で芸術
鑑賞すればいいと思います。恐竜の模型を展示するならば、名古屋・上野の国立科学博物館で十分ではないでしょうか?マヤ文明のレプリ
カ建設費用に多額の金をつぎ込んでいったい何になるのでしょうか? 真光で祀っているの「御親元主真光大神」という神様は建物が
建てば建つほど喜んで組み手を加護するとでもいうのでしょうか?これでは崇教眞光の状態は、金儲け宗教のいい見本ですよ。(笑)
後の維持費も信者の莫大なる献金でまかなうわけですから。組み手(信者)は、益々御奉納に励まなくてはなりません。巨大宗教は儲かるの典型的事例です。
(実際、宗教団体経営のプロが他の団体から出入りしてますから。) 地球の裏側には、その日一日の食事に困っている人がいる。
勉強したくても学校・教員の不足などで勉強ができない子供たちもいます。 宇宙をつかさどる本当の神様ならば、まず真っ先にそういう状態で
苦しんでいる人々に手を差し伸べようととするのではないですか?この教団は建物建設には何百億円とお金はかけてもそういう方面にお金を使った
ことが今までに一度たりとも無いんです。残念ながら・・・。
 この教団はお金の使い方があまりにも間違っているように感じますが、そう考えてしまうのは私だけでしょうか?
本来の宗教のあり方は困っている人を救うことではないでしょうか?手だけかざしていれば世の中が良くなるとでも思っているのでしょう
か?「人類救済」と片方で言っていながら、実際にやっていることは教団の目的は勢力拡大(組み手信者獲得)のみで、
これでは無茶苦茶です。


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