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1976年10月27日(水) ※

愛人疑惑

今日仕入れた話は、ケイジュが光玉の愛人だった事を如何して当時の組み手たちは判ったのですか?と尋ねたら、

《だって、見たそのまんまだもの。》

二人の中を隠してなかった訳だ。なかなか凄い人達だ。

更にケイジュは光玉死後、日陰葛(ひかげかずら)の愛人の身で操をたてて暮らしていたのかと思いきや、早速お付になったT塚という書道の大家とくっついたというのです。こんな酒池肉林を目の前で見たら、普通の神経の人間なら直ぐ信仰を止めるでしょうな。

光玉死後の分裂騒動というのは、光玉と陸士同期の人間達(その玉がケイジュ)と関口氏の間の権力争いであり、教義不在の金をめぐる争いであったという事実がハッキリしました。この話を教えてくれた方も、何時もはあまり真光の話をしたがらない理由が今日判りました。

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生長の家

岡田光玉が生長の家信者だったらしいという伝見は、前記「教祖誕生」の中に記述があり、生長の家の神示と真光の神示を読み合わせて見れば一目瞭然です。七つの灯台の神示と雰囲気がソックリです。光玉の残した「御講話集」を初めて読んだ時、エドガーケイシーやルドルフシュタイナ―の名が出てきたのには驚きましたが、とても当時の軍人の知的レベルを超えています。 此の辺の情報も生長の家から持ってきたようです。 

光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を参照すれば歴然です。

前にも指摘しましたが、真光の「御聖言」は真の道の大峰老仙という神霊の神示の口調を改竄したものであるという証拠です。(「御聖言」の文語調の部分は生長の家の神示の口調に由来しています。 これもBOOKOFFの100円コーナーで「生命の実相」を参照して貰えれば一目瞭然です。)

光玉とケイジュは言霊の研究会(真の道協会?)で知り合ったいう話が残っているそうです。 何方か引用していた資料ではケイジュは大月の出身とか、(戦争中知り合ったという話とは合いませんが)実は昭和二十七、八年頃、甲府市に真の道宗像道場という場が開かれていました。 甲府市に真の道宗像道場は、昭和三十年の教団分裂後に八幡博堂側についていました。 大月と甲府は近いですなあ。

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瓜谷社長の証言

岡田光玉に対する初期の気さくで大らかな人物という評価から、後年のブリキを切り抜いたような勲章をぶら下げてとても元帝国軍人とは思えないような歯をむき出した薄笑いを浮かべた教祖御真影になった姿とはどうも一致しない。

それについては、たま出版に瓜谷社長は初期の真光組み手であり、光玉のとの経緯を「無私の愛よ永遠に」平成二年刊に於いて書き残している。

(瓜谷氏の超宗教・超宗派への道の提言に対して)
以下引用

〔前略〕顕著な真光の業の実績などにより信者が増えるに従い、やはり通常の宗教セクトと同じような団体を形成し、数ある新興宗教団の一つとしてひたすら信者数を増やすという量的拡大の道を歩み始めた。

間もなく世界真光文明教団という麗々しい名称の下に宗教法人の認可が降りた。 そしてしばらくは世田谷区にある自宅兼事務所で布教活動を行なったが、本部になる殿堂の建立の計画がされ、東横線沿線の格好な土地が求められ、その建設が始まった。 その着工に先立つ地鎮祭の時、私も妻もその式に列席した。 式の途中、何故か物凄い突風吹き、周囲に張られた式幕が風で吹き飛ばされそうになった。 妻はこの余りにも強烈で、突然の風が、何かの予兆だと言い、本教団の前途が波乱に満ちたものであることを示すものと私に語った。

そしてこの予言は的中した。 本殿ができたのが昭和四十三年三月、その後教団自体は大いに伸びたが、初代教主O師(光玉の事)はその六年後、昭和四十九年六月、この本殿で、突然の急死をしてしまった。 その直後から後継者をめぐって二人の人物がそれぞれの正当性を主張し譲らず、遂に裁判まで持ち込まれ、その決着に五、六年を要した。 その結果一方が名称を変え、同じ教義の下に、同じ初代教主をいただいて、宗派活動をするようになり今日に至っている。 間もなく正式名称継承した方の教団から、第三代を名乗る人物が現われ、別派をつくり三つの教派に分裂してしまっている。

思うにこれはあらゆる宗教セクトが陥る宿命的な運命である。 宗教の時代はとっくに終わっているのに、現世的な名誉や財産に捉われ、神の経綸を説きながら、自らはそれを実践できないでいるこの悲喜劇が多く繰り返されている。 ああ何と悲しむべき現象であろうか。

この立派に殿堂が建つ前後よく妻と語りあったものである。

「これからの人を教化する宗教あるいは精神運動の場はすべからく幕舎でなければならぬ」そのように神(妻の)から授かったと彼女は何度も私に語ったことがあるが、私もその通りだと思った。 こういう点では不思議なことに、二人は必ず意見が一致し、何の葛藤もなくお互いの心中を語りあうことができた。

この本殿の建立が始まった頃、本来なら幕舎であるべき所なのにという思いと、万時に宗教セクトをますます強化し信者の拡大に走るその姿と、主神の代行者よろしく自らを特別神聖化して行くO師(光玉の事)の行方に、これではついていけないとの思いがつのった。 そしてある日二人で世田谷の本部に伺いO師(光玉の事)に面会した。 その時二人は信仰を離れることを決意はしていたが、いきなりそこまで言うのは、多年導きいただいた教主たる師に礼を失すると思い、その時は取りあえず、道場長、その他幹部的な役をいただいていることを辞したい旨お願いした。

師は顔色を変え、いつもの温顔がきびしくなった。 師は静かに信仰をやめかねない二人の態度に、もしこの信仰を去れば、それなりの罰や祟りがないとは言えない。 またこれから何かにつけ神の庇護を受けられなくなると、翻意を促すように告げた。 厳しい一瞬であった。 入信間もなく訪れた二階にある神殿のあるご本部の日本間である。 師の言葉は、決意の決まったわれわれ二人には空しかった。 しかし温情ある師から受けた現世的恩義は忘れることはできない。 それは感謝せねばならないし、その気持ちは十分あった。
そして師は、その豊かな霊感を見抜いて、妻に、もし将来あなたが、霊的な指導者として独立するなら援助は惜しまない。 だからもうしばらくここで修行を続けなさいとも語った。 しかしそれは妻が最もなりたくないことで、心中はとんでもないことと思ったが、その場ではその過分なお言葉に、最大級の謙遜な気持ちをこめて、師にその好意を感謝しつつも、はっきりご辞退申し上げた。 このような妻には人一倍強い霊感、霊能を持っていながら、これで信者を集めたり、これを仕事にするようなことは全然念願になかった。 やはり本質はあくまで精神世界的な、一求道者であった。 その意味では二人は文字通り、同じ道を歩む互いにかけがえのない同志であった。

このような一幕があって、折角本部殿堂ができたというのに、二人は次第に足が遠のいていった。 どんな立派なものであろうと、いや立派で堂々たる殿堂である程、二人には何の魅力もない空しいものしか思えなかった。〔後略〕

なんか夫婦愛について記述が長いが、奥さんの追悼集という意味合いが強い本なので仕方がない。

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大峰老仙


光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を 参照すれば歴然です。

>勉強不足で恐縮なのですが、最後の御神示というのはなんでしょうか?一般に公開されていないものという事でしょうか?
>過去に書き込みがあったのかもしれませんが・・・・すみません。


>13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い考え考えよ しばし右横へ 方向守るよ 高天原守らむなれど 時悪し神守るなれど 遅いよ遅いよ アマハラ 鎮護せしめん 胆なりヤマト人 遅いよ遅いよ 時悪ししばし 時を見よ(11日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)

>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ間に合わず 此地 時をまて 8月10日27所 与えられん思い立ったら吉日よもう一度 ほかの仕組みで 力 外に うまく そらさんも

岡田光玉の改編されていない御神示は、もろに大峰老仙の口調そのままであるという指摘です。千鳥会時代、霊の語るところによると、大峰老仙は役の行者の弟子であったという由で、聖徳太子の時代の人物だったそうです。わしは○○じゃよ。という口調で現れて交霊会で喋っていました。

後に作家になった皆川博子は塩谷博士の娘ですが、多感な年頃に千鳥会の交霊会に接してスッカリ霊的なことが嫌いになったそうで、大峰老仙の喋る《わしは○○じゃよ。》という口調が聖徳太子時代の口調とはとても考えられず、特に嫌いだったそうです。その頃の思い出から、「巫女のいる家」「巫女」という作品を書いています。「巫女」という作品は最近、学研M文庫から出たばかりだから大きな本屋で直ぐ手に入ります。

真の道の教義によると、真光霊団の一番上に座すのは聖徳太子という事ですが、真光教団に於いても踏破されているのでしょうか。

>私の所属道場は古い道場です。この間何日間だけ古い資料を公開していました。その中に昭和30年代の真の道の機関紙などがファイルされていました。(びっくり)
当然救い主様の記事もありました。膨大な量だった事と、時間もなかったので詳しい内容までは読み取れませんでした。

それは当然でしょう。 私の会った友の会時代の方(故人)によると、(真の道協会の人が来て)初期の頃(友の会時代)はフーチを良くやっていたそうです。陽文研に居たN氏によると、昭和三十年代の「真光」誌に真の道協会との交流が良く書いてあったとの事です。

因みに光玉の記事があったという「真の道の機関紙」は真の道協会の「聖和」でないですか? (真の道と真の道協会は分裂した別団体です。 その背景は昨年の十一月三日の投稿を御覧下さい。)

>又、教団設立当初の組み手さん、側近に近い人も何名かいらっしゃいます。(ほとんど話す機会はありませんが・・・)チャンスがあればいろいろと聞いてみたいと思っています。

是非お願いします。 初期の信者さんの光玉像と、現在の流布されている光玉像の間のギャップは如何。 歪められた虚像をただす時期にきているのでないでしょうか。

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ス座

光玉最後の神示というものを読むと、

>>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ

気がついたのですが、上記神示の《玄岳》という山は熱海にある山のことなのですね。
http://www.izu.co.jp/~gaigo/hp5.html

又、《玄光山》という山は、ネット検索には引っかからなかったのですが、その正体は如何に?

玄という字はクロとも読みますが、

>あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為

クロ クライから飛騨の位山(くらいやま)が連想されたのでしょうか?
文明教団のス座が熱海にあることと、崇教のス座が飛騨高山にあることとは、何か関係があるのでしょうか?

これ一冊でまるごとわかるシリーズ�◆ 峺纏妨電繊從請茵/型擁�往来社刊 という本を読むと、真光では(文明教団と崇教どちらの事か判りませんが)熱海の日金山や三重の御在所山に世界本山を作る話があったとか、書いていますが背景的には如何なんでしょうか。

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人類の母国「神国日本」

神保町で海軍大佐犬塚惟重の《人類の母国「神国日本」》昭和十八年刊というパンフレットを買い求めた。犬塚大佐は戦前、上海の特務機関長でユダヤ研究の分野で有名な人物であるが、逆にこの手の国体明徴の志向が有ったとは、私は最近まで知らなかった。

《人類の母国「神国日本」》の内容は、世界の古代文化の源流は日本にあるという世界観で、インカ・マヤ文化を始めアトランティス・ムー・レムリア文明・聖書ユダヤと日本の関係・民族移動説・地質学・考古学から見た日本原人(明石原人)飛騨高山の巨石文化・ボリビアの神代文字等の存在を根拠として《世界の古代文化の源流は日本にある》としている。これらの仮説を大きく裏付ける根拠として古文献(竹内文献の事・当時は天津教裁判中で名称を使う事が出来なかった)や契丹古伝の存在に大きく依存しているのである。まともに考えれば承知するにはかなり困難な珍説歴史を、戦前の有名な軍人達が信奉していたという事実には、いささか困惑するものである。

《人類の母国「神国日本」》は戦前一部の皇道派国体論者から支持された所説を纏めたものであるが、この本の内容(世界観)は、後の真光の教義と著しい類似を示している。 岡田光玉、本名良一が戦前、この手の国体論者のグループに属していた今のところ記録はない。というより岡田光玉の所説を読む限り、本から得た着想である事は明白である。

《人類の母国「神国日本」》の主張は、戦後は一般から顧みられるような事は無くなっていったが戦前学説?とされて公表されていたものが、戦後になって宗教の教義として登場したことには、真光という存在は、遅咲きのあだ花のような存在であったといえるだろう。


>...アトランティス大陸とムー大陸はかつて、水爆をも用いた大規模で悲惨な戦争をしました。さらに、金星やその他の惑星の霊たちとこの世の肉身をもった人類との間の戦争が起こりました。こうして、その戦いに敗北した霊の系統の者たちは、霊的に非常に強い恨みを現在の人類に対して持つようになりました。本当のことを言えば、現在の人間に憑依している霊の多数は、そのような霊たちなのです。

>神の力を以ってしても、憑依霊が人々の身体から長い間離れないこともあります。その理由を言いますと、ある程度までは、現実の人間の歴史の中で勝ったり負けたりしてきた霊の系統間の争いが、まさに今この現在まで続いているからなのです。現在、強い憎しみと恨みを持った霊たちが、現在の人間が幸せな世界を建設するのを邪魔するために、一致団結しています。言い換えれば、そういう霊たちは組織的に行動を起こしているのです。

>さらに、そのような霊たちは、また他の惑星からの霊たちまでもが、今日の人類の中に紛れ込み、人類の中に転生してきています。例えば、ムー大陸によって破壊されたアトランティス文明の人々は、今日の人間に霊として憑依するだけでなく、実際に、この世界に人間として転生してきているのです。さらに加えて、憎しみを持った霊はそのような人間たちと一緒になって、憎しみに満ち溢れた恐ろしい世界を作り上げようとさえしているのです。これが、現在起こっていることなのです...

上記の説(岡田光玉氏によるアトランティス霊障説 (5.真光、ムー大陸、そして天皇崇拝 参照))は、アメリカで1950年代に流行ったシェーバーミステリーが元でしょう。
SFマニアなら大抵知っている事では・・・

この手の翻訳本も昭和三十年代に、Rディクホフの「アガルタ」とか密教科学社なんていう処から出版されている。 持っていたけど、古本屋に売っちゃった。(高く売れた!)
「アガルタ」の口絵は、仏教徒と称するRディクホフの怪しい写真が載っていた。 この手の本を読んだんだろう岡田教祖は、どう見てもペテン師に思ったけど、気付かなかったのか?

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前に岡田光玉のUFO(宇宙)の話はアメリカのシェーバーミステリーの影響だろうと指摘しましたが、この番見ている人達は知らないようですなあ。 
他の人がNASAが如何のと、一生懸命反論しているのが可笑しかった。

今の世代の人は岡田光玉が影響を受けた戦前の国体主義者の把握が出来ていないと思います。
馬場さんが以前に批判いていたエタとユダが通音という教説は、オリジナルは確か小谷部全一郎か石川三四郎の説だったと思う。(違ったとしても同時代の誰かの説で、本で読んだ事がある)

この分野は余り参考文献が無いんだけど、一つ挙げると「偽史冒険世界」長山靖生 筑摩書房があります。 (トンデモ本解説書の体裁ですが)

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